108話B面『共同通信社杯を調べてみたら…』

さて、今年は10月まで残暑が残るなんて いや~な記事を目にしました。
かんべんしてほし~ですよね、ったく…
日本から春と秋がホントに消~滅しちゃうのかしら…
「一年中、エアコンが必要…!?」
な~んてことになっちゃったら、も~、ど~したらい~んでしょ~…

ホント、そ~だよねえ~…
最近の気候変化具合って、なんか不気味…

そ~いや、今年ふと感じたことがあんの
オレが住んでるのって西武園地区なんだけど、例年に比べセミの鳴き声が少ないような気がしたのよ

セミって産卵してから地中にいるのって7~8年?
あまり覚えてないけど、7~8年前、この地区で何かあったのか?
それとも、やっぱり気候変化によるものなのか…

もしくは、単にオレの記憶や感覚が狂っている…
ってこと?

こんな何気ないことからも何となく恐怖感が湧いてきちゃうね…

【西武園地区風景】

たんに「きおくとかんかくの くるい」ってだけなんじゃない?
おじ~ちゃんだし…

だと、いいんだけどさ(笑)

 

Gは今年もたくましい

あっ、そうそう!
そ~いやさ、今年は なぜか台所に小蝿があまり発生しなかったような気もする。
蚊も、ほとんど出なかったし…
これも暑さと何か関係してるのかなあ?

ただ、ゴキブリは例年通りか 気もち多いくらいで、しかも元気なヤツだと部屋の中で飛び回ったりしてるから、セミやハエ、蚊よりもたくましいってことなのかね(笑)

 

たしかに蚊は少なかったようにも感じるね…

けどさ、あたしん家のGクンは飛びまわるってことはないなあ…
あたし同~様、みんな おしとやかでひかえめなのかも(笑)

寝られん

さて、今、9月に入って1週間くらいなんだけど、まだ、いやになるくらいの暑さが連日続いてんだよね…
慣れたと言えば慣れたけど、今日も日中の気温は35度、やっぱ気が滅入っちゃう…

実はオレ、エアコンかけて寝るってのが苦手なタイプなのね。
何度かトライはしたんだけど、やっぱり窓あけて扇風機って方選択しちゃう。

なので、今年は暑さに加え、寝不足の方でもかなりやられちゃっててさ…

寝入ることはできても、たいてい3〜4時間で目が覚めちゃって、1度覚めると もう寝つけず…

だからもう、1日中眠くて、だるくて…

昼寝を試みてもやっぱりダメでさ…

もし本当に10月まで暑さが続いて、そのあとド~ンと寒くなる…
な〜んてことになったら、オレはもう まさに「快眠難民」。

年間通してヘロヘロなんていやだよな~…

次の選挙は誰に投票すりゃいいんだろ…(笑)

だれでもい~けど、投~票場所は、西武園つかってね♡

共同通信社杯って…

投票場所ねえ…

あっ、投票といえば、もうすぐ『共同通信社杯』ってのが始まるみたいだね(笑)

このブログの更新時は、とっくに終わってるけど、開催見終わってからじゃ記事作りが間に合わないんで、今回、それに関する話はできないんだけどさ。

と言いつつ、『共同杯』について、試しに ちょいと検索してみよ〜!
今回、話すネタがあまり浮かんでこないんで…

というわけで、今いろいろ眺めてんだけど…

「ん!?」

「へえ〜、ビックリ!」

今さらだけど、その歴史って、1988年、競輪40周年の記念行事の1つとして平塚で開催された『ルビーカップ』ってのが前身だったんだね。
(ちなみに、現在使われている競輪のシンボルマークも この時に制定されたものだったみたい)

で、この開催は通常のS級開催にS級(チャンピオン杯)、A級(シニア杯)の単発企画レース2本を加えたものだったってらしい。

企画レースのS級出場者は、各地区の得点上位者と推薦された者。
A級は、過去タイトル獲得歴のある得点上位者との事…

当時はもう、朝から晩まで競輪って生活してたのに、いや〜、すっかり忘れてた…

でも、もう36年経ってるってことでしょ。
じゃあ忘れてても問題ないか…

ちなみに1988年ったら、『ギャンブルレーサー』の連載始めた年でもあんのね。
さすがに、これは死ぬまで覚えてるだろうけど…(笑)

だけど、へえ~ そうなのか…

競輪40周年って年から、今はもう ほぼ同じくらいの年月が経ってるんだね…

で、4年後は、なんと80周年!

『ギャンブルレーサー』も、生誕40年…!?
こりゃ、歳取るわけだよなあ…

なんか驚き…

ん、ちょっと待てよ…

当時のこと、少しづつ思い出してきた!

そういや この年のルビーカップって、たしかオレ現地行ってたんだわ!

そうだった、そうだった。
記憶に有る、有る…

「オ〜シ、しめた!」

だったら、ここからは その時の思い出話といこ!(笑)

では、早速…

こういう事は覚えてる

え〜と…
その日はたしか車券の方も調子が良くて、最終レースの前までにけっこう浮いてたんだったかな…

S級決勝も、『シニア杯』も、たしか取ってて、残るはメインの『チャンピオン杯』。

ほんで、このレースなんだけど、オレは当時の横綱、滝澤正光選手(43期・OB)で堅いと思ってたのね。

というわけで、頭流し!

通常なら、配当の安い滝澤選手からの流しなんてできるもんじゃないけど、この日はかなり浮きが出てたからさ。

おかげで手を広げられるし、投資額も上げられるから、仮に安目で決まったとしても問題なし。

もし、高目で来たら万々歳…

そんなわけで、最終的にいくらの儲けになるか…
な〜んて、ウキウキしながら観てたっけかな、たしか…

でも結果の方は、最後の最後、滝澤選手が、伏兵だった伊藤豊明選手(41期・OB)にゴール寸前食われて裏くっちゃったんだよね。

堅いと思って投資額を上げてたのも まさに裏目に。
その日の儲けをほとんど無くしてジ・エンドってパターンだったと思う、たぶん…

ちなみに伊藤選手の走りって、当時『ゲリラ戦法』と称されていて、メンバー構成的に厳しいような時でも

「あっ!?」

という感じで連に絡んでくることがよくあったのね。

なもんで、オレも車券の方では度々痛い目に合わされてたのよ。
ゆえに

(あ~あ~、まただよ…)

(井上茂徳選手(41期・OB)ともども、ど~して41期ってのはオレに対していつもいつも…)

みたいなこと思いながらお帰りしたって記憶が今蘇ってきたわ(笑)

それにしても、惜しいところでやられたレースってのは、いつまでも覚えてるもんなんだね。

反面、大儲けしたってレースの記憶は、ほとんど飛んじゃってるってのが不思議。

そもそも、回数自体めちゃ少ないはずなのに、それでも覚えてないってことは、オレにとっての競輪ってのは つまり「負けた悔しさ」って方ばっかで積み重なってるってことなのかも…

約40年間…(笑)

でも、ほとんどのお客さまが そうなのかもしれないよね(笑)

そうそう!
せっかくだし、あたしのほ〜も その時のメンバーと結果しらべてみたからさ!
よかったら、ど~ぞ♡

【1988年10月18日・ルビーカップ(平塚)】

(12Rチャンピオン杯/先固2,825米)
①中野 浩一 (福岡)35期 ③
②滝澤 正光 (千葉)43期 ❷ H・B
③井上 茂徳 (佐賀)41期 ⑨
④竹内 久人 (岐阜)37期 ⑥
⑤佐古 雅俊 (広島)45期 ⑧
⑥小磯 伸一 (福島)47期 ⑤
⑦山口 健治 (東京)38期 ④
⑧伊藤 豊明 (愛媛)41期 ❶
⑨松本  整 (京都)45期 ⑦

追-逃 ❻❷ 9,790円

(11Rシニア杯/先固2,425米)
①中里 光典 (兵庫)42期 ⑤
②斑目 秀雄 (福島)24期 ⑥
③新井 正昭 (埼玉)31期 ⑧ H ※Bは③か①
④伊藤  繁 (神奈)21期 ④   (確認できず)
⑤稲村 雅士 (群馬)16期 ③
⑥工藤元司郎 (茨城)16期 ❷
⑦荒川秀之助 (宮城)25期 ⑦
⑧阿部  道 (宮城)23期 ⑨
⑨荒木  実 (京都)23期 ❶

追-追 ❻❺ 1,930円

 

うわ〜、懐かし!
9,790円…
「裏目千両」どころか
「裏目万シュ~」だったのね…

今さらながら恨めし~!(笑)

シニア杯メンバーの新井選手は、現在の埼玉支部・新井副支部長のお父上!
工藤選手は、け~りんキャスター・工藤わこさんのお父上!
なんか、感動~♡

ハイ!
とゆ~わけで、今回も運よく競輪に関するお話を、しかも ひさしぶりに長々と語れたタナカセンセェでした。
よかったですね(笑)
「でわ!」

昔話でごまかすのみ(笑)

【追記】

9月16日、宇都宮で行われた『第40回 共同通信社杯競輪』は、地元栃木の眞杉 匠選手(113期)の優勝で幕を閉じました。

「突然の優勝戦配信に接し 謹んで戦前ならびに戦中のご功績を讃え 今後のさらなるご活躍をお祈り申し上げます」

 

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