第37話 浅井康太『3番手浅井、イン突き競輪祭V!』

親愛なる皆様!
競輪祭の収支はど~だった~?
当然、オレはやられたよ!
ったく、浅井のタコ

90期・三重 浅井康太 アサイコウタ(34歳) S級S班

90期・三重 浅井康太 アサイコウタ(34歳) S級S班

競輪祭決勝、脇本の後ろが、格上、浅井でなく柴崎ってことで、客の方から多少声は上がってたけど、これも競輪だよな。
選手たちにはそれぞれ色々な考えや事情もあるし
オレだって、フラワー(ライン)ってもんにさんざん苦労させられたクチだしよヘッヘッへッ
まっ「このレースをもって競輪は廃止になります」ってなことにでもなったら、並びも展開もまた大きく変わってくるのかもしんねえけどさウヘへへ

ところで、支部長、副支部長の二人には「並び」にまつわる思い出かエピソードってあるかい?

自分が自力選手としてラインの先頭で走っていた若手の時に、とある競輪場で同県3人が同じレースに乗りました。
1人は自分より若手の自力選手、もう1人は先輩の追込選手。
今までその先輩を引っ張って来たし自分の方が点数ありましたが、同じ練習グループだからという一言で3番手を回ることになりました。
その若手がいなかったら間違いなく自分の後ろを回るだろうし、その時はモヤモヤしましたね。練習グループという事で毎回並ぶようなら1人で練習している選手は番手回れません。
ケースバイケースですが同県はみんな家族のように分け隔てなく走るのが良いことだと個人的には思いますね。

自分がいま自力選手の後ろを回るようになって、同県、他県の選手から前に引っ張ってもらったから3番手でいいよと言ってもらったことがあります。
自分の中ではほとんど忘れかけてたこともしっかりと覚えてもらえててすごく嬉しかったです。
それでいい思いをしたこともあるのでもちろん話合いしてからですが、お世話になった自力選手がいたら極力前を回ってもらうように話はしますよ。

フラワーラインって、わたしの生まれる前の時代ですけど、競輪のラインというものに関して、父から話は良く聞いていました。
「並び、順番は守れ」、「挨拶、礼儀を忘れるな」、「先輩、後輩、仲間は大切にしろ」、「決して人を裏切るな」…
「この世でフラワーラインのみ談合は許される!(※そんな事実はありません)」…
幼い頃から耳にタコが出来るほど聞かされて育ったせいか、順番待ちとかってそれほど苦にはならないタイプになりました。

そういえば幼稚園の時だったかしら、家族で電車に乗ろうとしたら割り込んできた人がいて、その瞬間、父が猛然とブロック。
も~ビックリ!
でも、相手の方も父の顔を見たとたん戦意喪失したのか「は、はい!ス、スミマセ~ン」ってなっちゃって…
で、でもでも(汗〕、お年寄りや体調の悪そうな方たちを見かけると積極的に席を譲る父でもあるんですよ。

で、こんなことも言うんです。
「いいか、あたり。競輪ってのは、思いやりってのも大事なんだぞ」
「ラインとは人道!人道イコール競輪道!」
だから、わたしも競輪大好きになっちゃたんですフフ♡

ところでみなさ~ん!
長らくお待たせいたしました!
12月22~24日、28~30日、大宮競輪の本場開催が始まります♡
このブログに登場してくださった選手の方々もたくさん出場予定です。
ぜひぜひナマの走りを見に来てくださいね~♡♡♡
イベントもたくさん用意してお待ちしてま〜す♡♡♡♡
詳しくは大宮競輪ホームページでね❤

はあ~ぁ~やれやれ…
あたりの親父も生っちょろい事言ってやがるな…
そう思いません?

競輪ってのはそもそも、同県同期みてえなもんじゃなく、一番強い先行屋に一番強いマーク屋がつくってのが基本。
そんで、一番強い先行屋の番手(後位)は、競り合い(並走して自分のまわる位置を取り合う)、もしくは直線の差し脚比べで勝ちとっていくもの。
負けた者や力の劣る者は、おとなしく3番手4番手をまわるか、他の先行屋マークで行くか…
先行屋は先行屋で、強い順にマーク屋どもが群がって行く訳だから、必死で先行争いして一番の先行屋になろうと頑張る。

ってな風に、一番強い先行屋に一番強いマーク屋がつくから揺るぎのない本線を形成できて、もっとも有利に戦えるようになる訳だよな。
で、最終的に一番強い先行屋とマーク屋で一着を競う。

ただまあ、そんなこと毎度毎度の競走でやってたら、特にマーク屋なんて身が持たねえから、まっいいか…って事で、今みたいな同地区同士でライン組んでいこうみたいな形になったんだけどさ。

さっき、フラワーには苦労させられたって言っちまったけど、結局、オレがタイトル取れなかったのは、もちろん世の中とオレ以外の全人類がみんな悪かったってのが最大の原因だけど、あともう一つは山口(健治・38期OB)さんと尾崎(雅彦・39期OB」さんに、マーク屋として力で勝てなかったってのもほんの僅かだけどあんのよ。
フラワー云々ったって、結局、力無き者に前をまわる権利はねえんだ。
そもそもの競輪もな…

あっ!もちろん人格と麻雀はオレのほうが上だったけどねグヘへ…

もしだけど、あの頃、あの二人に加えて吉井(秀仁・38期OB)さんもいなけりゃ、当時、トップクラスの先行屋だった清嶋(彰一・40期OB)さんや滝沢(正光・43期OB)の後ろはオレの指定席で、ついでに言えば、清嶋さんや滝沢の力がもうちょい柔くて、かつ中野(浩一・35期OB)さん、井上(茂徳・41期OB)さんみたいな輩…もっと言やあ、当時のS1クラスが誰もいなけりゃタイトルだってオレが100個くらいは取って、記念だって500は取ってたと思うぜ。
となると、収益だって何十億…?
もちろん脱税するし、初タイトル決めたら、瞬間、女房とは籍抜くなりして、とにかく支出は抑えるよな…
でもって、競馬や競艇で、一点一千万以上の単位で勝負して、当然勝ち続けるとするだろ…
となると、今頃オレは、資産なん十兆円!?
ったく、どいつもこいつも何でオレの人生邪魔するためにこの世に生まれてきやがったんだろうなぁ~!

も~腹立たしいんで、じゃね!

追記 浅井をタコとは言ったけど、結局、競輪祭は、前をまわった柴崎が勝てなかった。
それが全てなんだよな。
強けりゃあの展開でも勝ててる。
だって、一番強い先行屋の番手で最終BS通過だぞ。

でもよ、柴崎!
赤の他人だけど、次また頑張れよ!
ったく、浅井のイカ野郎〜!(関優勝)

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