さあ、ことし1発目のB面です。
おかげさまで あたしは、とてもジュ~ジツした年末年始をおくることができました。
どれだけ寝まくったことか…
さて、タナカセンセェは年末年始を いかがおすごしでしたか?
例年通り疲れ果ててた…(笑)
みなさんもそうだろうけど、年末ってやること一杯だし、ゆえに年始は疲労困憊って感じになっちゃうからね
現役世代でもないのに、そんなに忙しいの?
世代は関係ないんじゃない?
老人だって、毎年当たり前に家の掃除や片づけ、年末の買い出しとかあるわけでしょ
もちろん大したレベルではやってないよ
でも、肉体の方は、これも毎年当たり前に老化を重ねていってるんで年々キツくなってくわけよ…
なるほどねえ…
あっ、でも だったらさ、あたしみたいに ずっと寝てたら?
掃除も買い出しもしなくてすむし、食事の回数もへらせて支出もへるよ(笑)
お〜!
たしかに、そりゃ手だね(笑)
今度から、そうしよう!
■いっぱい、おしゃべりできました
というわけで、あいかわらずの年末年始だったんだけど、やっぱり楽しさもあったかな。
年末って、人と会ったり、お酒を飲んだりって機会も増えるじゃん。
ご無沙汰している人に電話やメールしたりとかさ…
老体には大変だけど、人とおしゃべりするのって、人生の中で最も貴重かつ幸福な時間だからね。
なのでオレにとっては年末って、ささやかな幸福感も味わえる季節ってことになるのかな…
そうそう、そういや 今回の年末は、そのおしゃべりの場でちょっと面白い体験?ができたのよ。
というより、複数の飲み会に参加させていただいた後、最終的にそういう感覚になったって話になるのかな…
■現役世代、若者世代とのおしゃべり
今は無き(笑)西武園クラブOB、飯田義広さん(42期・OB)グループの忘年会にお呼ばれしたのね。
主な参加者は皆、飯田さんのお弟子さんにあたる現役選手とアマ選手。
若い子たちとおしゃべりできるのって、年寄りにとってはメチャクチャ楽しいことじゃん。
色々な話をずいぶん聞けちゃった。
プロを目指していた時、なった時の気持ち…
プロ選手として過ごす日々のあれこれ…
私生活でのあれこれ…
オレも一通り経験してきたことだから、自分に重ねながら聞けるでしょ、本当に楽しかったね。
特に養成所受験中の子たちの、あの未来を目指している顔つきってキラキラしていて とっても印象的だったな…
年明けには、同じく、今は無き西武園クラブOB、廣田邦靖さん(46期・OB)一派の飲み会にもお声かけていただいてるんで、そこでもまた現役選手たちのお顔を眺めさせていただけるのが本当に楽しみ。
■年寄り世代とのおしゃべり
んでね、その会の前後なんだけど、近所の選手OBじいさま達によるゲリラ的飲み会ってのもちょくちょくあったのね。
(ちなみにオレの中では60期代あたりのOBでも「じいさん」に含まれるのでご注意を)
で、その飲み会の中で1番おしゃべりができて楽しかったのが最高齢78歳の参加者、堀内 基さん(28期・OB)。
ちなみに堀内さんって、オレが競輪の客を始めた約40年前、すでにアラフォーのじいさま選手って存在だったのかな。
けどさ、その頃でもたしかA級(S・A・B、3層制時代)の優勝戦線近くを走ってて、負け戦(敗者戦)とかだと当たり前に印背負えるくらい、かなりの年齢になるまで強さを保ち続けた方だったって記憶があるの。
地元地区の斡旋も多かったのか、現場でよく顔合わせてたんだ。
もちろん金網越しでだけど。
でも、オレにとっては買いづらい選手ではあったかな。
もちろんオレが とにかくビギナーだったってこともあるんだけど、当時の競輪で40歳ってのは やっぱりじいさんとしか感じないからさ(笑)
堀内さんが連に絡む時、オレの車券は必ずパーだったはず…(笑)
■競輪人生の一気見
前置きが、ちょい長くなっちゃったけど、その堀内さんに飲み会の時、青春時代の話やプロ目指す切っ掛け、プロ時代の話など色々聞かせて頂けたのね。
現役世代の子たちの話も楽しかったけど、歳の離れた先輩の話っていうのは実に重みがあって素晴らしいんだよね。
しかもさ、オレがまだ経験してない60代後半、70代の話を聞かせてもらえるんだもの…
お話の内容を勝手に喋るわけにもいかないので伏せとくけど、オレは結構感動しながら聞いてたな…
堀内さんも時々、目に涙浮かべたりしながら昔を振り返ってたしね…
で、オレが「面白い体験をできた」って感じたところは、ここ。
競輪選手の人生…
プロを目指し始めた頃からプロになった後、そして引退後の姿まで、年末のこんな短い期間の間にリアルタイムの当事者すべて直接目の前にし、話を聞き、言葉を交わせたってこと。
同業者ならまだしもオレは一応別世界の人間じゃん。
家帰って、しばらくしてハッとしちゃった。
いや~、感激…
というか感動というか…
ひとつの世界の「ゆりかごから墓場…」
じゃなくて、「老後」まで…
そういったもんをまとめてナマで目にすることができたのよ。
まさに奇跡のような出来事だと思わない?
「楽しいというより、贅沢な年末だったかも!」
なるほど、たしかに そうだよねえ…
同じ職場の人間同士であっても職場に入るまえの姿だったり退職なさったあとなんて、よほど親しくないとわからないもんね
センセェ、よかったね!
あんなマンガでも、描いてたおかげじゃん(笑)
というより、今は無き(しつこい)西武園クラブって組織がオレを迎え入れてくれてたからだと思うよ
唯一、選手じゃないオレを桜井久昭さん(28期・OB)が、「おまえもOB」っておっしゃって下さったのは生涯の喜びだし、自慢だもん
そういう人間関係のおかげ
桜井センセェ!
あたしも「今は無き西武園クラブ」入りた~い♡
アホ!
今は無えもんに、どうやって入るんだ(笑)
まあ、飯田や廣田に友だち申請でもすりゃいいんじゃねえのか
あいつら一派は結構ホームバンク西武園をつらぬいているからよ
■神山さんの引退
さてと、本当だったら今回はここで話は終わりなんだけど、昨年末に神山雄一郎さん(61期・OB)が現役引退したじゃん。
あれだけの大選手、触れないわけにはいかないんで最後にちょっと?だけ…
神山さんに関しては、どれほどの選手だったとか今更語る必要はないんで、直接的なエピソードではないけどオレの中での とある思い出話しを語るね。
ハッキリとは覚えてないんだけど20年くらい前だったかな、30期代前半のとある選手OBの方と こんな話したことがあったの。
ちなみに その方はA級が最高位だった時代にA1上位で活躍なさっていたお人ね。
で、話したテーマはと言うと
「史上最高の選手は誰か?」
ありきたり、かつ永遠に正解が無いテーマではあるんだけど、こういう話って時々出ちゃうよね。
さて、その時のオレ
「神山雄一郎!」
って答えたの。
いっぽうOBの方の答えはというと
「中野浩一!」
そりゃまあ、ご自分がバリバリだった頃に もっともやっかいな存在だったわけだからね…
納得納得…
■変化した評価
でね、それから10年くらい経った頃だったかな、そのOBの方が思い出したように こう言ったの。
「前は中野って言ったけど、やっぱ神山だな」
へえ~って思ったけど、まあ神山さんは最初に話が出た以降もずっと頂点で活躍続けてたからね。
でもさ、ケッサクな事にオレはオレでその時やっぱり心変わりしてたの。
「いや~、自分もあれから さらに競輪界を眺めてきたんですけど、最高の選手はやっぱり中野さんかなって思えるようになっちゃったんです…」
やっぱり10年って期間があると、さらに色んな視点で考えられるようになるからね。
選手としての能力や成績だけでなく、競輪界や社会に与えた影響とか貢献度だったりとか…
ということで出た答えが、その時は中野さんだったの。
■現在の評価
さて、それからまた10年くらいが経った今。
先日、神山さんの引退を知り、過去のそんなやり取りを何となく思い出しちゃって…
思い出すのと同時に、んじゃあ今のオレはそのテーマに対してなんて答えるだろうって思っちゃってさ。
というわけで改めて考えてみたんだけど、今度はまいったね…
悩んだ末に出した答えは…
「中野さんと神山さん、甲乙つけがたい!」
ひょっとしたら、つまらないオチに感じちゃう?
でもね、オレなりに深~く考えたうえでの正直な気持ちなのよ。
オレの中では、競輪の地位向上に最大級の功績があるのは、現時点でもやっぱり中野さん。
これ抜きには語れない、世界戦10連覇ってのもあるしね…
でもさ、デビューから引退までの選手としての総合評価だと、中野さん、神山さん、やっぱり甲乙つけがたいでしょ?
というより、現役年数、しかもS級で走り続けた実績を考えると神山さんの方が上回ってるっていえるかもしんないよね。
長きにわたってファン達に走る姿を見せ続けてくれた事とか…
やっぱ比べようがないじゃん。
両方引退されたってことで、オレの中での この評価は今後変わらないと思うんだけどさ…
でも どうなんだろう…?
10年後、また変わってたりしてね(笑)
もしくは、新たな名前が出現してんのかな…?
ちなみにくだんのOBさんとは忘年会でも顔を合わせたんだけど、神山さんの引退発表前でもあったので特にそういう話題は出なかったのね。
今度会ったら聞いてみようかな(笑)
■新鋭の3番車
さてさて、ずいぶん長話しになっちゃったけど ごめんね。
神山さんについて思い出したことを、あともうひとつ。
多少記憶はボヤけちゃっているんだけど、神山さんって1990年、初出場のダービーで準優をたしか中野さん相手に逃げ切りで1着取ってんだよね。
んで、決勝で3番車背負って、本命を打ってる新聞もあったような覚えがあるの。
(後で調べたら間違いなしだったけど、新聞までは確認できず)
その当時、デビュー2年の若者が初めてのダービーで、かつ決勝で3番車なんて、とてつもなくすごいことだからね。
オレの中では、それが強く印象に残っててさ…
【第43回日本選手権優勝戦】
① 中野 浩一 (35期) 福岡 ⑤
② 坂本 勉 (57期) 青森 ❷
③ 神山雄一郎 (61期) 栃木 ④
④ 松枝 義幸 (47期) 岡山 ⑦
⑤ 内田 浩司 (51期) 福岡 ⑧
⑥ 佐藤 正人 (44期) 岩手 ③
⑦ 長谷部純也 (57期) 茨城 ⑨
⑧ 豊田 知之 (59期) 岡山 ⑥
⑨ 俵 信之 (53期) 北海 ❶
神山さん絡みの車券を買ったかどうかまでは、もう覚えてないけど、とんでもない若手の誕生にワクワクしながらレース観てた記憶はあるな…
(ちなみに、その時優勝したのは坂本勉さんの捲りに乗って差しを決めた俵信之さん)
「最初から最後まで、超一流の競輪選手でした!」
初出場のダービーで後ろ取りあいなんて、神山さんってホントにすごい選手だったんだね
デビュー前から騒がれてたような記憶があるよ
デビュー直後からの活躍ぶりも凄くて、即大スターって感じだったかも
ところでセンセェ、今回は写真画像の転載なんてやってるけど どうしちゃったの?
ひょっとして、初めてなんじゃない?
最初は、いつも通り手描きしようと思ったのよ
だけど、『月刊競輪』誌面の競走写真眺めてたら、そのまま載せたほうが神山さんの迫力と強さがより伝わるかなって感じたもんでさ
へえ~、そんなこともあるんだね…
でもまあ センセェが描くと、なんでも品がなくなっちゃうからね…
今回の選択は正解だったんじゃない(笑)
大選手の引退を汚しちゃうのは気が引けちゃうからさ(笑)
ハイ!
とゆ~わけで、新春第1回目は以上となりますが、最後にひとことだけ。
先日おこなわれたGP2024は現在の大選手、古性優作選手(100期・大阪)の優勝でした。
大先輩おふたりのように、永遠に語りつがれる選手をめざしてほしいですね。
「でわ!」
う~ん…
モデルが良くてもオレが描くと、たしかに品がなくなるな…