番外編10『サクライせんせぇのオールスター物語(前編)』

みなさま、こんにちは
あたりです♡♥♡♥

 

緊急事態宣言もついに解除されたりと、ウイルスの方も少しずつ収束の方向には向かっているみたいですね( ^∀^)
でも、まだまだ油断は禁物Σ(-_-)

第二波とかきたらホントいやだし…

念のためブログ制作のときは、まだ在宅ワーク実行中。

お化粧の必要もないし、部屋着のままで過ごせるし、なにより通勤しなくていいでしょ。
ちょっと、しあわせ( ^ω^ )

ってなわけで、ハイ!
きょうもお仕事、お仕事…!

ハイ!
っというわけで、今回は「まだ生きてる化石!」桜井久昭(28期•OB)大センセェにご協力いただいて、むかし話をおとどけします♪()♪

 

お年寄の話って若い人はみんなきらうけど、どんなときも辛抱って必要だと思うの!(◎_◎;)

先のことを考えると、ウイルス関係での辛抱もまだ必要だと思うし、もうしばらくはがんばって辛抱しましょう╰(*´︶`*)╯♡

それでは桜井センセェ!
辛抱疲れのみなさまに向けて、
ハイ、ど~ぞ!

♪パチパチパチ~♬♪♬

ハイ!
ただいまご紹介に預かりました第17代競輪王!28期•西武園クラブOB!桜井園子さんの夫!桜井久昭でございます!

先日、け~りんふきょ~会のあたりから電話が入って、オレの昔話をぜひにって頼まれたもんで出てきました。

まあ、かなり光が見えてきたとはいえ、確かに第二波が怖いからまだ警戒は緩められんとオレも思うんだ。
ゆえに、ちょっとした気分転換にでもなればいいかなと思ってよ…

むかしむかしの自慢話の始まりは…

さて、オレが話すのは、若かりし頃、特別競輪初優出を決めた、昭和50年(1975年)9月、前橋の第18回オールスター競輪!

当時、オレは24歳。
9月2日が誕生日のオレはなりたてホヤホヤだ。

戦法は追い込み主体に展開次第で捲り。
Aの2班までは先行、捲りで戦ってたが、1班では厳しいと考え戦法チェンジ。

その後、先行に関しては年寄りに懇願されたらって感じだったかな。

選手登録は昭和46年1月、デビューは2月。

んで、B級2班のデビュー戦から8連勝。

9戦目2着で、その後10連勝(当時の特進条件は10連勝)プラスおまけ1勝の都合11連勝でA級特進だ。(当時、A級は5班制だったが、特進だと4班に格付けしてくれていたような気がする。昔すぎて忘れた)

「オシ行ける!」

と思ったのも束の間。

A級昇格後、一年間は優出すら出来ずでプロの厳しさも早々に味わったよ。
お客からも厳しい声が飛んだもんさ。

「特進選手のくせに!」
「てめえみてえな奴は、永久にに準優突破なんかできねえ!」
「バカ!クズ!南京虫!」

一年間本当にその通りになっちまって…
南京虫には、さすがにならなかったけどよ…

昔も今もそうだけど、すんなり特進決めて、しかものちにタイトル獲得まで行くような選手が特進後にほとんど勝てなくなるケースってのは、そうはねえと思うんだ。
だから、精神的にもかなりきつかったよ…

けど、日々やるべき事をそれ以上に、かつガムシャラにやって挑戦し続けるしかねえもんな。

辛抱しながらの戦いを続け、ようやく勝ち星も増やせるようになっていったんだ。

辛抱と練習!
ただただ、この毎日…

だから今、デビューしたばかりの連中にはこんな風にも言いてえな…

「決して焦るな!」

「慌てるな!」

「黙々と、すべき事をし続けろ…!」

現役の若い衆たち、がんばれよ!

さあ、そんなこんなで4年近くの月日が流れ、オレが当時の最高位A1になったのは前橋オールスターの前年、昭和49年の9月。

結局スピード出世とはいかなかったものの、とにもかくにも俗に言う神の領域ってとこに到達して、いよいよ将軍、横綱、王様って人たちに立ち向かえる日々がやってきたんだ。
もちろん、その頃にはそういう人たちにハナからかなわんとは思わなくなったし、いつか必ず頂点にって思いで先輩たちに立ち向かってってたな。

練習だって、そりゃあ~も~それまで以上さ…!

そもそも知りもしない競輪の世界

話は、ちょっとそれるけど、オレん家は実家が会社経営してて、学校も中学から私学っつう比較的恵まれた環境で育ったんだ。だから、お坊ちゃん呼ばわりされるようなことも多々あって、より何クソって感じで闘志も燃やせたのかもしれん。
ちなみに、小学校までは勉強だってトップだったんだぜグッヘッヘッ!

おい、スガモのコイケ!(競輪選手関係じゃなく、競輪場のただの浅ましく、賤しく、ひもじい客)
ちゃんと聞いてっか?

お前は巣鴨高校•柔道部だけど、オレは明治高校•生物部だかんな!
運動部なんて野蛮なとこには入らず、ボウフラやイトミミズの研究に日々没頭だ…

けどな、自転車も大好きで、日本のあちこちに輪行で旅行なんてこともしてたよ。

高校生当時、競輪なんて世界があるってことは全く知らなかったけど、たまたま同級生の友達に、従兄弟に競輪選手がいるってヤツがいたんだ。
で、3年生になったある日、そいつに誘われて、その従兄弟の家に遊びに行ったことがあったんだ。

選手の従兄弟さん本人は忙しくて話はできなかったんだけど、親父さんが相手してくれて自転車や競輪の話を色々聞かせてくれたんだ。

もちろんその時のオレは選手になりたかったわけでも興味を持ってたわけでもないぜ。

ただ、オレが輪行少年だったってことで興味を持ってくれたのか、のちのオレの師匠となる、倉地治信(6期•OB)さんという方にひき合わせてくれ、練習に誘われたりしているうちになぜか競輪選手の道に進む流れになっていっちまうんだ。

元々は学問系の人間だったから晴天の霹靂だよな。

でも当時、倉地さんに言われた一言

「お前は根性がある!」

この一言で俄然燃えたんだ。

男、桜井!
こうと決めたら、もう一直線!

「オレの道は競輪選手!」

ってなわけで、ひょんなことから明治高校史上初の競輪選手が誕生することになるんだ!

巣鴨と違ってほぼ100パーが東大に進学(ウソ。ほとんどが明大)する学校から!

周囲は猛反対だったよ…

「お前は将来、学者か大臣にでもなる器だろうに、なんで競輪なんて…」

って具合に校長以下、全教師、全校生徒たちからも泣かれてな…

ど~だ、たまげたかハッハッハッ!

オールスターでついにサクライは覚醒する…

…ハイ、ほんで話は戻るけど、特別競輪初出場は、そのA1になった49年の静岡オールスター(優勝•阿部道/23期•OB)。

でもって、年明けて、50年千葉ダービー(優勝•高橋健二/30期•OB)、宮杯(優勝•藤巻清志/27期•OB)、そしてこれから話す前橋オールスターへと続くんだ。

どうだい、皆さん。
ここまでの前振りだけでもワクワクしてくるだろう?

いかにもオレが、少年マンガに出てくるようなすごい男のように感じてきたんじゃねえのか?ドへへへへ

おい浅見(隼/115期・東京)!
お前も、ちゃんと聞いてっか?
ささ身ばっか食ってねえで、ここからの話よく聞いとけよ!

なぜこのオールスターの話をしたいのかっちゅ~と、今、競輪人生を振り返ってみた時、こんなようにも思えたからなんだ。

あの決勝レースを走ってから、本当の意味で「競輪選手、桜井久昭」がスタートした!
ってな…

何があったのかっていうと、特別競輪初めての決勝でオレは、当時の大スター、そしてこのレースでも大本命だった福島正幸(22期•OB)さんに勝負所で追い上げて大競りを演じたんだ。

もちろんあの時、いろいろな計算があった訳でも、した訳でもなく、瞬間的な判断と身体の方が勝手に動いてったってことなんだけど、でもあの一戦でオレなりの選手としての信念みたいなもんが確立し、周囲のオレに対するイメージもあれで固まったような気がするんだ。

前年、A1になったもののスピード出世とはいかなかったオレの評価は、

「そこそこの若手のうちの一人…」
「A1までは来たけど、どれほどのモンかはまだわからん…」
「所詮、特進後にもたついたヤツ…」
「ホラ吹き…」

当時、密かに想いを寄せていた松戸のソノちゃんの評価もおそらく

「大ホラ吹き!」

実はこのオールスターを迎える前、そんなオレでもなぜか好調は好調で、宮杯を終えてからの4ヶ月間は記念競輪を4回走って3V。
普通A1戦を一つ走って完全V。
5場所走っての4Vっつう見事な成績を収めていたんだが、それでもまだ間違いなく本物とまでは見てもらえてなかったんだ。

オレ自身、(たまたま流れにうまく乗っかれた…)みてえな感覚で、絶対的な自信はまだ生まれてなかった気もするしな…

だけど、あの一戦の後は、

「とことん行く男!」
「どんな相手にでも真っ向勝負に出る追い込み屋!」
「根性は一級!」

このオレ自身も、

「オレはやれる!」

そう思った…

で、今改めて思うんだ。

なぜあの時、あの福島さんに、しかも福島さんの地元前橋で競りかけることができたのか…
さらには初優出の身の上で…

それはきっと

「ここぞという時、強気で攻める!」
「物事に直面した時、損得抜きで真正面から立ち向かう!」

そんな勇気を持つことを普段から自身に言い聞かせていたからだと…

そしてそれがあの日、自分の中での信念として絶対的なものになった。

で、その勇気を持つ心ってのは、特進後の一年間、あの全く勝てなかった日々にそれでも腐らず、ただただ練習し続けたことと、ソノちゃんへの熱いハートから生み出されたものだったって気がするな…

そして偉大な選手として栄光の人生が…

さて、ついでにオールスター後の話も少し。

しかし、人生ってのは面白いよな。
自信をつけた、そのオールスターの直後はまた勝てなくなっちゃうんだもん。
物事ってのは本当都合よく動かねえ。

けど、このオレにはもう怖いもんなんぞありゃしねえからな。

その次のタイトル戦となる5度目の特別競輪、11月の競輪祭!

特別競輪2度目の優出を果たすとともに見事初V!

このオレが、なんとタイトルだ!!

第17代競輪王!

男、桜井!
勇気がついに花開いた瞬間だドハハハハ~~~~!!!!

弱冠24歳と2ヶ月チョイ!

税務署からも祝電がわんさか!
さすがのオレもこの時ばかりは、もう一つの覚悟を決めざるを得んかった…

(こいつらともオレはとことん戦う!)

番手競り同様、数学も大好物だったこのオレだからな…

さあそして、絶対的な勇気を持って松戸のソノちゃんに愛の告白!

そしたらソノちゃん…
うっひっひっ…

「ヒサテルさん、も~どうにでもして♥♡♥…」

だとさ!
グハハハハ~~~~♥♡♥♡♥♡♥

も~、男冥利に尽きるってもんよ!

なっ浅見!
そうやってオレは、名実ともに「東京の桜井久昭」になっていったんだ…

(もちろん、その後は、前回このブログに登場した94期の岡(光良・埼玉)同様、信念持って特別競輪の優勝だけは拒否し続けたけどよ…)

オレの現役生活は38年!

晩年、脚はどんどん落ちても、選手として持つべきと決めたあの勇気だけは常に持って走り続けたと思う。
ソノちゃんへの愛情だってもちろんだ…

ど~だ樋口の次男(瑛土/109期・東京)と三男(開土/113期•東京)!
大矢(崇弘/107期•東京)!
内藤(高裕/96期•東京)!

それからハゲのタナカ!

い~話だろう!

ちゃんと聞いてっか?

競輪も、女の子口説くのも同じなんだぞ!

強気と損得抜きで真正面から立ち向かう!

ソノちゃん口説いたのはオレの方からだったが、そのあとは、も~…
惚れまくられちゃったかんな~グヘヘへ…

そうそう、野村(昌弘/84期•埼玉/西武園クラブ会長)やその他はもう聞かなくてもいいからな。
お前らは嫁さんいるんだし…

さて、話がちょっと長くなっちゃったから、ここらでひとまず休憩といくか…

「うお~い!
40年以上も愛するソノちゃ~ん!
いつも同様、オレがお茶入れるから一緒に飲も~!
そんなそっけない態度取らなくてもいいじゃんよー(汗汗汗)」

あのさ~大センセェ…
オールスターの話って、ただスターの人に競りかけましたってぐらいで、レース内容の具体的な話がほとんどないじゃん。

もっと、ちゃんとくわしく話してよ!

むだ話ばっかりつけくわえて、も~じれったいたらありゃしない!

こういう男の人って、女からはだいたいきらわれるんだよね…

モテない男のテンケ~。・°°・(>_<)・°°・。

しょうがないから続きはも~、次回。

次はちゃんとやってよ!

ったくも~…

【というわけで後編は明日6月2日に更新予定でございます…】

番外編9『団結の時代を偲んで…』

ヤッホー!
あたりで~す♡♥♡♥

お仕事いがいのみなさん、ちゃんとおうちにいますか~?

あたしもちゃんとひきこもってますよ~(● ˃̶͈̀˂̶͈́)⁾⁾

こういう時こそ、みんなで協力しあわないとですもんね( ^∀^)

というわけで、またまた番外編のお届けです♪()♪

今回は、今のこういう状況にちなんで?、そのむかし協力や団結の大切さを日本中に説いてまわったという「フラワーライン」のお話です☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

では、ど~ぞ…

なんとまあ、すさまじいこと(汗汗汗)d( ̄  ̄)

…というより、センセェって大昔からちっとも変わってないんですねΣ(-_-)

それよりさあ…
なんなんです、この「フラワーライン」って>* ))))><

いくら協力や団結が必要ったってさあ…Σ(-᷅_-᷄๑)

そりゃまあ、あたしも父から話はよく聞かされていたので名前くらいは知ってましたよ。
とくにタイトル戦で、ここぞとばかり徒党をくんで暴れまわってた集団だって…

父いわく

「日本人にとって団結がいかに大事かっつうのは、その昔「フラワーライン」ってのが我々に散々教えてくれたんだ。
団結が嫌いな性分の客や中野(浩一/35期・OB)が、当時どれだけ泣かされたことか…」

だそうなんですけど…

それにしてもさあ…。・°°・(>_<)・°°・。

う~ん………………

あたりのバカが、親父からどういう風に聞かされてきたのかは知らんが、何となく誤解があるような気もすんだよな…
客にとってのフラワーラインって…

当時もフラワーは、ずる賢い互助集団だなんて散々悪口食らってはいたんだけどよ…
山口国男(24期・OB)さんなんて、証人喚問に呼ばれるんじゃねえか?って噂されてたくらいでさ…

そりゃまあ確かに、滝沢(正光/43期・OB)や清嶋(彰一/40期・OB)さんが臨機応変にガンガン駆けてくれたり、その逆だったり…
並びだって臨機応変…
とにかくラインから勝利者出すためには何でもありで、徹底的に団結してたからな。

例えば清嶋さんが初タイトル決めた昭和六十年の立川ダービー決勝なんて、このオレですら今でも吹き出しちゃうくれえ凄まじかったもん。

誘導員まで一致団結しちまったんだから…

あの競走は、初タイトルを狙う清嶋さんに、山口(健治/38期・OB)さん、尾崎(雅彦/39期・OB)さん、滝沢とフラワー4人が乗っかって、誘導員は古林(昭二/46期・OB)。

で、この古林がレース本番で、実質4人目の東京選手として大仕事をしちまうんだよな…

競走内容はっつうと、滝沢がS取ってフラワーが前段、その後別線に押さえられていったん後退。
勝負所に入ったところで、滝沢がイン切りみてえな形で前を押さえ返し、それに合わせて清嶋さん-山口さん-尾崎さんで再び上昇。

赤板あたりで清嶋さんが誘導…
というか機関車役の古林のケツに再度収まるんだ。

さあ、こっからが大爆笑もの。

誘導の古林、それまではキッチリ押さえ先行で、特に別線?(古林は誘導だから、この言い方はちょっと変かもしれねえが、とにかくフラワー以外の連中)がケツについてる時は本当にも~、後ろからフラワーが上がって来やすいように丁寧にペース作ってたのよ(笑)。

なのにさ、清嶋さんがケツに収まったと見るや、追走しやすいよう、さらには後方からの仕掛けにも最大級に警戒しつつ、これ以上はないってくらい丁寧(大笑)にペースを作りながら徐々にスピードを上げて、打鐘からは一気にブン吹かしの最終二角まで大逃げ。

も~目一杯の!

誘導員のメイチの先行なんて、今の時代…
っつうより今後二度とお目にはかかれんと思うけどさグッヘッヘッ…

ほんで、もちろんその後は、古林の番手から出た清嶋さんが、そのままキッチリ、ダービーツモ!
公式の決まり手は「逃げ」だけど、あんなもん誰がどう見たって二段駆けの番手捲りだよな。

前代未聞だろ?
誘導使った二段駆けなんて…

もちろん参加選手と誘導選手が開催中に接触なんて出来ないし、同じ東京同士、阿吽の呼吸でって事なんだけどさ。
でも、まっ、あれには本当笑わせてもらったよ。

そうそう、ただその後、古林は、即刻取調室連行されて尋問と拷問受けたって話だけど、間違いなくあの立川ダービーの影の主役だったよなグッヘッヘッ…
重ねて言うけど、仮にもダービーの決勝で最終ホームを取ったんだから勲章モンだったとは思うぜゲッヒッヒッ…

おっと、いかんいかん。
話がちょっと脱線しちゃったんで元に戻すけど、こんなような競走があれば、そりゃそういう集団だって思われちまうのも仕方ねえ部分はあるかもしれねえよ。

ついでに話すと、あの時のダービー終了後、雀荘で一緒になった競輪好きの客が、こんな風にも話してたしな…

「山口を引っ張ってダービー優勝に貢献した尾崎が一昨年、滝沢使って宮杯優勝。
続くオールスターで、フラワーの仲間入りした菅田(順和/36期・OB)がV…
そんで、去年の千葉ダービーは、滝沢が清嶋に引っ張ってもらって初タイトル。
で、その後、吉井(秀仁/38期・OB)がオールスターV。

となりゃあ今回の立川は、どう考えたって清嶋だよな。
順番から言ってもそうだけど、何よりまだ無冠だったし、フラワー軍団一丸となって絶対勝たせに行くだろうって即思ったよ。

もっともオレだけでなく競輪の客はほとんどみんな同じように思ったろうな。
中野は欠場でいねえし、あとは井上(茂徳/41期・OB)あたりの邪魔さえ入らなきゃ清嶋の優勝で間違いなしって…

でよ、本番じゃ、清嶋はもちろん、山口、尾崎、滝沢と四人が優出決めて、邪魔になりそうな連中は勝ち上がりで全滅。
こうなっちゃうと、もう走る前から頭は完全に確定。
あとはヒモが誰かってだけ。

清嶋の後ろは、山口か尾崎のどっちかで、回った方の2着で決まり。
それこそ展開予想もクソもねえ。

結局、二人はコメントで並びをハッキリ言わなかったんで車券の人気は、清嶋-山口、清嶋-尾崎で五分。
競輪じゃなくて丁半博打みてえなもんだったよ…

で、その丁半博打をやりに客がわんさか押し寄せてな。
オレも含めてさ。
例え安くても当たりの車券が最初からわかってんだから、そりゃみんな行っちゃうよ…

ただ、3番手回ってた尾崎が最後、山口食っちゃったのにはズッコケさせられたけどさハッハッハッ…」

…って具合にここまで言われちまってたんだ。

おそらく、あたりの親父も似たように思ってたんじゃねえのか…

けどな、それでもやっぱオレはフラワーが互助集団だったってのにはノーと答えてえんだ。

もし本当に互助集団だったって言うなら、じゃあなんでオレがタイトル取れなかったんだってことよ。

言っとくけどオレは、特別競輪優出9回も果たした身の上だぜ。

本当にみんなで仲良くタイトルたらい回しで行きましょう、ってことなら清嶋さんの次はオレだろうよ。

仲間どうこうったって最終的にはやっぱり脚なんだ。
脚のあるヤツが勝ち進んで、脚があるからこそチャンスもつかめるし結果も出せるんだ。

脚がなけりゃ、例え古林が誘導の名を借りた機関車役努めて大逃げ打ってくれても、タイトル戦決勝で頭なんて取れるわけねえし、滝沢や清嶋さんの後ろ回ったって百年経っても差せるわきゃあねえんだよ。

もっと言えば、例え番手をもらえたって脚がなきゃ前を差せねえどころか逆にケツから食われちまうってえの。

脚があるからこそ番手が回ってくるんであって、なきゃ永久に順番なんて回って来ねえのさ。

悔しいけどやっぱり脚は山口さん、尾崎さんの方がオレより上だったよ。
例えほんの僅かであったとしても、それでもう順番は回ってこねえ。

フラワーだって番手はやっぱり勝ち取るものでしかねえんだ。

ゆえに安易に互助会的集団に思われても困るってのがオレの正直な気持ちかな。

そんな訳だから上の漫画のセリフは大いに気に入らねえし、ぜひこういう風に直してもらいてえと思うのよ…

な、な、なんなの!
セリフ入れ直した、このマンガ>* ))))><
大ウソつき!!!!
センセェの話も「ふ~ん、なるほど…」
って、チョッピリまじめに聞いてたのに、これ読んだ瞬間、も~なにもかも信用できなくなりました。

ハッハッハッ
本当は、客の思ってる通り単なる互助集団で、オレはたまたまついてなかったってだけの話なんだけどな…

 

ハゲてるタナカの
とってもつまらないざれごと

いや~懐かしいなあ~フラワーライン!
オレが競輪通い始めたのは九州対フラワーの時代。
もう35年以上も前になるなんて信じられない気分だね。

競輪教えてくれた友達が当時こう言って誘ってくれたのよ。

「競輪ってなぁよ、基本談合で決まるんだ!
選手同士が仲間内で相談して順番においしい思いをしようとすんのよ。
だから、可能な限り選手の裏情報仕入れて、誰と誰が仲良くて、誰勝たせようとしてんのかってのがわかりゃ、手っ取り早く金稼げるぜ…」

みてえな事言われてフラワーラインの競走のビデオ見せられたの…

なんとまあ説得力のあったこと。

オレ本気にしたもん!

それでもそいつ曰く、

「でもな、九州はちと違うんだ。
特にあの中野、井上!
あいつら二人は直線入ったらもう親も子もねえってくらいの意地汚さだからよ…」

まっ、完全に間違ってるとまでは言えないけど正しくはないよね(笑)

それに、そんな簡単なもんじゃねえってのは、毎日競輪通ってらいやでも気づくんだけどさ…

いや~当時は本当冗談抜きに毎日行ったもんな~。

立川、京王閣、西武園、大宮…

この4場だけで、年間通してほぼ毎日どっかしらで開催してたもん。
しかも、オレ自身ちょうど無職の頃だったし。

でもなんで、そんなにはまれたかって言ったら、友達の言い草はさておき、やっぱ九州対フラワーの戦いってのは面白かったのよ。

両陣営だけでなく、勢力的にやや劣る中四国や中近の選手たちが間隙つこうとする形でのタイトルの取り合いに、も~しびれちゃってさ…

それに当時は格闘技競輪でしょ。

あの凄まじい競り合いには、本当に興奮したわ。

今と違って、番手は戦って一枚一枚上げていくものってとこにもロマンを感じたかな…

とにかく幸運でした。
無職の時に競輪教えてもらえて、その時、中野さん、井上さんがいて、そしてあのフラワーラインがあって…
気づいたらそれがいつしか飯のタネになって…

もし、それが無かったらオレは今頃どんな人生送ってたのかな…

オッシ!
今度もし生まれ変われたら、競輪するのだけは絶対やめとこ!

【今回は、いつも以上に話を盛り、ウソ八百を思い切り散りばめた記事内容であることをご了解くださいませ。特に古林昭二さんという方は架空の人物でございます】