SR75話B面『あの世で飲みましょう』

本日のざれごと

お正月きぶんも、とっくのと~にぬけてしまった今日このごろです。
こよみのうえでは、ビッグイベント『大宮きねん』がおわってしまっておりますが、制作スケジュールの関係で、今回は触れることはできません。
こまっちゃったなあ~…
「センセェ、なんか話のネタな~い?」

う~ん…
ネタっていう言い方はしたくないんだけど、年明け早々、ちょっとショックな出来事はあったんだよね…

ん、どうしたの?

30年くらい前にオレの担当編集やってくれてた方が亡くなったって連絡を受けたの

えっ…

まだ50代半ばで、オレよか8歳くらい年下だったみたい…

……

ハッキリ覚えてはいないんだけど、たぶんオレが30代前半、彼が25歳前後って頃から5~6年担当してくれてたのかな…

だから、本当に大昔で、しかも最後に顔合わせたのも おそらく20年くらい前…
そのうち会いたいなあなんて思いながら、気がつきゃ月日だけ経っちゃったってパターンでさ…

結構年下だし、まさか亡くなってしまうなんて想像すらできないじゃん
愕然としちゃったよ…

長い月日がたってても、そういう想いがつづいてたってことは、その方とは きっと いい関係だったんだろうね…

オレって おそらく、過去に20人くらいの編集者さんにお世話になってるんだけど、オレが唯一怒鳴ったことのある編集者!

へっ?

たしか
「ふざけんなコノヤロ~!とっとと帰れ!」
って風にわめいたんだっけかな…

セ、センセェって、そ~ゆ~ガッツのある人だったの!?

いや~、ないない!
だから、彼が唯一なわけ

なにがあったの?

オレの方から話ふっちゃった以上、話さないわけにはいかないか…

若き担当編集者

ほんじゃあさ、彼のことは、とりあえずAさんってしとくね。

Aさんが、『ギャンブルレーサー』の担当編集してくれたのは1992~3年あたりから、たぶん5~6年間。

ちょうど吉岡稔真さん(65期・OB)が出現し、いきなり大活躍を始めた頃ね。

ちなみに連載初期は担当編集者さんって1~2年サイクルくらいで交代になっちゃってたんで、たしかAさんは5代目かな…

あっ、そうだ!

誤解のないように言っとくけど、当時の編集部では、連載作家は2年くらいで担当替えするって事にしてたみたいで、オレの性格に問題があってコロコロ代わってたって訳じゃないのよ。

ただ、こういうサイクルがあるってのは、かなり後になって知ることになるんだけどさ…

で、記憶はかなり薄れちゃってるんだけど、たしかAさんは、新卒で講談社に入社。

その後、1~2年どっかの部署をまわって『週刊モーニング』編集部に配属されたって形だったのかな…?
そんで、一発目がオレの担当って事だったのかもしれない…

このへんは、ほとんど忘れちゃった…

あと、それまでの担当編集者さんって、みなベテランや中堅クラスだったので、オレにとって若手に担当してもらうってのは初めてのことでもあったのね。

多少、心配したけど、頭のレベルは当然オレより何十倍も上なわけだし、仕事は最初からスムーズにいってたような気はする…

30年前の話だから微妙だけど…(笑)

打ち合わせの実態

でさ、それから関係が5~6年続くんだけど、当時は担当してもらってる期間が長いとか短いとか、あまり気にしたことはなかったのね…

担当替えのサイクルがあるなんて、そもそも知らなかったから…

さてと、そんでね、あの頃はオールアナログの時代。
打ち合わせでも何でも、その都度、編集者が作家の家に行くって形だったの。

オレは隔週連載だったので、2週間に1〜2度やって来て、4~5時間…
もっとかな?
原稿取りと、いろんな おしゃべりして帰って行くって感じだったのかな…

特殊な作品?だったせいか、内容に関しての打ち合わせや相談は、いつもほぼ無し。

通常なら、一番重要かつ不可避の「ネーム チェック」ってのが実質免除になっちゃってたからさ…
(※ネーム=ラフな見本原稿)

要は、作家が好き勝手に本番原稿描いて、出来たら渡すだけって事なんだけど、オレの場合は なぜか連載初期から そんな扱いになっちゃってたんだよね…

なもんだから、おしゃべりの中身は、ほとんどが雑談とオレの愚痴。

当時のオレはお酒が飲めなかったので仕方がないけど、要は飲み屋でするような会話しかしてなかったってこと。

ちなみにAさんは、若いながらも大酒飲み。
本当は、本物の飲み屋でやりたかったんだろうけどさ。

というわけで、Aさんとの関係は、編集者と作家ってより茶飲み友達って方が近かったのかも…

考えてみりゃ、他の編集者さんとも、ほとんどが こんなパターンだったんだけどね…(笑)

騒動勃発!

でね、そんなAさんが担当替えになる切っ掛けとなったのが 最初に話した「オレが怒鳴っちまった」って出来事から。

Aさんってのは、かなり年下ではあったけど、ズケズケ物言うタイプでもあったのね。

で、その日は珍しく業務上の とある相談になっていたの。

具体的な内容はしゃべれないけど、例えば、こういった感じの流れになっちゃったのかな…

「できませんか?」
「難しいなあ…」

で、そのうち こうなって…

「挑戦しようともせず、ハナからやる気がなくて断ってるだけじゃないんですか!」

みたいなセリフを投げられ、売り言葉に買い言葉

「ふざけんなコノヤロ~!とっとと帰れ!」

ってなったわけ。

こんなオレでも、仕事に関してだけは常に全力、一杯一杯でやってるって自負があったからさ…

あくまでも、オレからするとって話だけどね(笑)

さて、怒鳴った後、オレは即、別室行ってフテ寝…

その後は、Aさんと元同僚でもあった家人がビックリして部屋に飛び込んできて しばらく相手してたみたいだったけど…

でもさ、事態はそれで終わらなかったんだ…

というより、とんでもない方向に動いてっちゃったの…

Aさんときたら、正直者だから編集部戻って即、編集長に報告しちゃったのよ。

「作家、怒らせました」

アホだよね、まったく…

早速、編集長から手紙だったかFAXだったかが届いちゃってさ…
「担当を替える」って文言入りの…

カクっときたけど…

今度はオレのほうが大あわて。

たしかに怒鳴りはしたけど、Aさんって、オレにとっては すでに、何でも話ができるような大切な存在になってたからね…

なんとか担当替えを撤回してもらおうとしたんだけど、家人の発した一言でオレはあきらめたの。

家人は、Aさんが担当していた期間を改めて振り返り

「こんなに長い期間担当続くってあまり無いよ」
「安定連載だったから、編集長も異動させること、つい忘れてたんじゃない…」

ここで初めて担当替えのサイクルがあるって事を知ったのかな…

寂しかったけど、まあ仕方ないよね。
自分でしでかした事だから…

でもさ、担当から外れた後も、出版社の年末のパーティーだったりとかで年に1回くらい会えたりはしてたのかな…

ただ、年月が経つうちAさんも部署が変わったりとか だんだん機会がなくなっていって、最後に顔合わせたのは、これも最初に話したように今から20年くらい前。

ちなみに その時って、編集部に何か用事があって出向いたんだけど、違う部署に居たAさんが、オレが来るって話を聞いてわざわざ会いに来てくれたんだよね。

1回、飲んでみたかった…

で、そのあとAさんや お世話になってる編集者何名かと居酒屋さんみたいなとこ行ったのかな…

もちろん、その時のオレも まだお酒は飲めなかったんだけどさ。

だから、その時だったのか、その後、人を介してだったのか正確には覚えてないんだけどAさんが、こう言ってくれたって記憶があるの。

「タナカさんがお酒飲めるようになったら嬉しいなあ…」
「一緒に飲みたいなあ…」

そして、約20年…

今、オレもようやく人様とお酒を楽しめるようになったでしょ。
そういう機会があった時、よくAさんの顔思い浮かべたりすることもあったのよ。

なのにさ…

そのうちAさんに連絡したいなって思ってた矢先だもんなあ…

同僚さんに聞いたところによると、近年は体調が良くなさそうだったみたいなのね。

オレの担当をやってくれていた頃は元気いっぱいだったんだけどさ…

(1度だけでも飲みたかったなあ…)

オレも歳だし

「いつでも、会えらあ…」

って考え方には注意しないといけないのかな。

会いたい人には、積極的に会いに行かなきゃね。

 

そっか、とうとう会えないままのお別れになっちゃったんだ…

でもさ、これからしばらくはお酒飲む機会があった時は今まで以上に彼の顔思い浮かべるだろうから、それでいいかなとも思ってるけどね

センセェだって、そう遠くない未来にあっち行けるんだから、そこで思いきり飲めるじゃん!

まあ、そうだね
ハッハッハッ♡

とゆ~わけで、今回はおしまいにします。
「でわ!」

SR74話B面『競輪人生の見学』

本日のざれごと

さあ、ことし1発目のB面です。
おかげさまで あたしは、とてもジュ~ジツした年末年始をおくることができました。
どれだけ寝まくったことか…
さて、タナカセンセェは年末年始を いかがおすごしでしたか?

例年通り疲れ果ててた…(笑)

みなさんもそうだろうけど、年末ってやること一杯だし、ゆえに年始は疲労困憊って感じになっちゃうからね

現役世代でもないのに、そんなに忙しいの?

世代は関係ないんじゃない?

老人だって、毎年当たり前に家の掃除や片づけ、年末の買い出しとかあるわけでしょ
もちろん大したレベルではやってないよ
でも、肉体の方は、これも毎年当たり前に老化を重ねていってるんで年々キツくなってくわけよ…

なるほどねえ…

あっ、でも だったらさ、あたしみたいに ずっと寝てたら?
掃除も買い出しもしなくてすむし、食事の回数もへらせて支出もへるよ(笑)

お〜!
たしかに、そりゃ手だね(笑)
今度から、そうしよう!

いっぱい、おしゃべりできました

というわけで、あいかわらずの年末年始だったんだけど、やっぱり楽しさもあったかな。

年末って、人と会ったり、お酒を飲んだりって機会も増えるじゃん。
ご無沙汰している人に電話やメールしたりとかさ…

老体には大変だけど、人とおしゃべりするのって、人生の中で最も貴重かつ幸福な時間だからね。

なのでオレにとっては年末って、ささやかな幸福感も味わえる季節ってことになるのかな…

そうそう、そういや 今回の年末は、そのおしゃべりの場でちょっと面白い体験?ができたのよ。

というより、複数の飲み会に参加させていただいた後、最終的にそういう感覚になったって話になるのかな…

現役世代、若者世代とのおしゃべり

今は無き(笑)西武園クラブOB、飯田義広さん(42期・OB)グループの忘年会にお呼ばれしたのね。

主な参加者は皆、飯田さんのお弟子さんにあたる現役選手とアマ選手。

若い子たちとおしゃべりできるのって、年寄りにとってはメチャクチャ楽しいことじゃん。

色々な話をずいぶん聞けちゃった。

プロを目指していた時、なった時の気持ち…

プロ選手として過ごす日々のあれこれ…

私生活でのあれこれ…

オレも一通り経験してきたことだから、自分に重ねながら聞けるでしょ、本当に楽しかったね。

特に養成所受験中の子たちの、あの未来を目指している顔つきってキラキラしていて とっても印象的だったな…

年明けには、同じく、今は無き西武園クラブOB、廣田邦靖さん(46期・OB)一派の飲み会にもお声かけていただいてるんで、そこでもまた現役選手たちのお顔を眺めさせていただけるのが本当に楽しみ。

年寄り世代とのおしゃべり

んでね、その会の前後なんだけど、近所の選手OBじいさま達によるゲリラ的飲み会ってのもちょくちょくあったのね。
(ちなみにオレの中では60期代あたりのOBでも「じいさん」に含まれるのでご注意を)

で、その飲み会の中で1番おしゃべりができて楽しかったのが最高齢78歳の参加者、堀内 基さん(28期・OB)。

ちなみに堀内さんって、オレが競輪の客を始めた約40年前、すでにアラフォーのじいさま選手って存在だったのかな。

けどさ、その頃でもたしかA級(S・A・B、3層制時代)の優勝戦線近くを走ってて、負け戦(敗者戦)とかだと当たり前に印背負えるくらい、かなりの年齢になるまで強さを保ち続けた方だったって記憶があるの。

地元地区の斡旋も多かったのか、現場でよく顔合わせてたんだ。
もちろん金網越しでだけど。

でも、オレにとっては買いづらい選手ではあったかな。
もちろんオレが とにかくビギナーだったってこともあるんだけど、当時の競輪で40歳ってのは やっぱりじいさんとしか感じないからさ(笑)

堀内さんが連に絡む時、オレの車券は必ずパーだったはず…(笑)

競輪人生の一気見

前置きが、ちょい長くなっちゃったけど、その堀内さんに飲み会の時、青春時代の話やプロ目指す切っ掛け、プロ時代の話など色々聞かせて頂けたのね。

現役世代の子たちの話も楽しかったけど、歳の離れた先輩の話っていうのは実に重みがあって素晴らしいんだよね。

しかもさ、オレがまだ経験してない60代後半、70代の話を聞かせてもらえるんだもの…

お話の内容を勝手に喋るわけにもいかないので伏せとくけど、オレは結構感動しながら聞いてたな…
堀内さんも時々、目に涙浮かべたりしながら昔を振り返ってたしね…

で、オレが「面白い体験をできた」って感じたところは、ここ。

競輪選手の人生…
プロを目指し始めた頃からプロになった後、そして引退後の姿まで、年末のこんな短い期間の間にリアルタイムの当事者すべて直接目の前にし、話を聞き、言葉を交わせたってこと。

同業者ならまだしもオレは一応別世界の人間じゃん。

家帰って、しばらくしてハッとしちゃった。

いや~、感激…
というか感動というか…

ひとつの世界の「ゆりかごから墓場…」

じゃなくて、「老後」まで…

そういったもんをまとめてナマで目にすることができたのよ。

まさに奇跡のような出来事だと思わない?

「楽しいというより、贅沢な年末だったかも!」

 

なるほど、たしかに そうだよねえ…
同じ職場の人間同士であっても職場に入るまえの姿だったり退職なさったあとなんて、よほど親しくないとわからないもんね

センセェ、よかったね!
あんなマンガでも、描いてたおかげじゃん(笑)

というより、今は無き(しつこい)西武園クラブって組織がオレを迎え入れてくれてたからだと思うよ
唯一、選手じゃないオレを桜井久昭さん(28期・OB)が、「おまえもOB」っておっしゃって下さったのは生涯の喜びだし、自慢だもん
そういう人間関係のおかげ

桜井センセェ!
あたしも「今は無き西武園クラブ」入りた~い♡

アホ!
今は無えもんに、どうやって入るんだ(笑)
まあ、飯田や廣田に友だち申請でもすりゃいいんじゃねえのか
あいつら一派は結構ホームバンク西武園をつらぬいているからよ

神山さんの引退

さてと、本当だったら今回はここで話は終わりなんだけど、昨年末に神山雄一郎さん(61期・OB)が現役引退したじゃん。

あれだけの大選手、触れないわけにはいかないんで最後にちょっと?だけ…

神山さんに関しては、どれほどの選手だったとか今更語る必要はないんで、直接的なエピソードではないけどオレの中での とある思い出話しを語るね。

ハッキリとは覚えてないんだけど20年くらい前だったかな、30期代前半のとある選手OBの方と こんな話したことがあったの。
ちなみに その方はA級が最高位だった時代にA1上位で活躍なさっていたお人ね。

で、話したテーマはと言うと

「史上最高の選手は誰か?」

ありきたり、かつ永遠に正解が無いテーマではあるんだけど、こういう話って時々出ちゃうよね。

さて、その時のオレ

「神山雄一郎!」

って答えたの。

いっぽうOBの方の答えはというと

「中野浩一!」

そりゃまあ、ご自分がバリバリだった頃に もっともやっかいな存在だったわけだからね…
納得納得…

変化した評価

でね、それから10年くらい経った頃だったかな、そのOBの方が思い出したように こう言ったの。

「前は中野って言ったけど、やっぱ神山だな」

へえ~って思ったけど、まあ神山さんは最初に話が出た以降もずっと頂点で活躍続けてたからね。

でもさ、ケッサクな事にオレはオレでその時やっぱり心変わりしてたの。

「いや~、自分もあれから さらに競輪界を眺めてきたんですけど、最高の選手はやっぱり中野さんかなって思えるようになっちゃったんです…」

やっぱり10年って期間があると、さらに色んな視点で考えられるようになるからね。

選手としての能力や成績だけでなく、競輪界や社会に与えた影響とか貢献度だったりとか…

ということで出た答えが、その時は中野さんだったの。

現在の評価

さて、それからまた10年くらいが経った今。

先日、神山さんの引退を知り、過去のそんなやり取りを何となく思い出しちゃって…

思い出すのと同時に、んじゃあ今のオレはそのテーマに対してなんて答えるだろうって思っちゃってさ。

というわけで改めて考えてみたんだけど、今度はまいったね…

悩んだ末に出した答えは…

「中野さんと神山さん、甲乙つけがたい!」

ひょっとしたら、つまらないオチに感じちゃう?

でもね、オレなりに深~く考えたうえでの正直な気持ちなのよ。

オレの中では、競輪の地位向上に最大級の功績があるのは、現時点でもやっぱり中野さん。
これ抜きには語れない、世界戦10連覇ってのもあるしね…

でもさ、デビューから引退までの選手としての総合評価だと、中野さん、神山さん、やっぱり甲乙つけがたいでしょ?

というより、現役年数、しかもS級で走り続けた実績を考えると神山さんの方が上回ってるっていえるかもしんないよね。

長きにわたってファン達に走る姿を見せ続けてくれた事とか…

やっぱ比べようがないじゃん。

両方引退されたってことで、オレの中での この評価は今後変わらないと思うんだけどさ…

でも どうなんだろう…?

10年後、また変わってたりしてね(笑)

もしくは、新たな名前が出現してんのかな…?

ちなみにくだんのOBさんとは忘年会でも顔を合わせたんだけど、神山さんの引退発表前でもあったので特にそういう話題は出なかったのね。

今度会ったら聞いてみようかな(笑)

新鋭の3番車

さてさて、ずいぶん長話しになっちゃったけど ごめんね。

神山さんについて思い出したことを、あともうひとつ。

多少記憶はボヤけちゃっているんだけど、神山さんって1990年、初出場のダービーで準優をたしか中野さん相手に逃げ切りで1着取ってんだよね。
んで、決勝で3番車背負って、本命を打ってる新聞もあったような覚えがあるの。
(後で調べたら間違いなしだったけど、新聞までは確認できず)

その当時、デビュー2年の若者が初めてのダービーで、かつ決勝で3番車なんて、とてつもなくすごいことだからね。
オレの中では、それが強く印象に残っててさ…

【第43回日本選手権優勝戦】
① 中野 浩一 (35期) 福岡 ⑤
② 坂本  勉 (57期) 青森 ❷
③ 神山雄一郎 (61期) 栃木 ④
④ 松枝 義幸 (47期) 岡山 ⑦
⑤ 内田 浩司 (51期) 福岡 ⑧
⑥ 佐藤 正人 (44期) 岩手 ③
⑦ 長谷部純也 (57期) 茨城 ⑨
⑧ 豊田 知之 (59期) 岡山 ⑥
⑨ 俵  信之 (53期) 北海 ❶

神山さん絡みの車券を買ったかどうかまでは、もう覚えてないけど、とんでもない若手の誕生にワクワクしながらレース観てた記憶はあるな…
(ちなみに、その時優勝したのは坂本勉さんの捲りに乗って差しを決めた俵信之さん)

「最初から最後まで、超一流の競輪選手でした!」

初出場のダービーで後ろ取りあいなんて、神山さんってホントにすごい選手だったんだね

デビュー前から騒がれてたような記憶があるよ
デビュー直後からの活躍ぶりも凄くて、即大スターって感じだったかも

ところでセンセェ、今回は写真画像の転載なんてやってるけど どうしちゃったの?
ひょっとして、初めてなんじゃない?

最初は、いつも通り手描きしようと思ったのよ
だけど、『月刊競輪』誌面の競走写真眺めてたら、そのまま載せたほうが神山さんの迫力と強さがより伝わるかなって感じたもんでさ

へえ~、そんなこともあるんだね…
でもまあ センセェが描くと、なんでも品がなくなっちゃうからね…
今回の選択は正解だったんじゃない(笑)

大選手の引退を汚しちゃうのは気が引けちゃうからさ(笑)

ハイ!
とゆ~わけで、新春第1回目は以上となりますが、最後にひとことだけ。
先日おこなわれたGP2024は現在の大選手、古性優作選手(100期・大阪)の優勝でした。
大先輩おふたりのように、永遠に語りつがれる選手をめざしてほしいですね。
「でわ!」

う~ん…
モデルが良くてもオレが描くと、たしかに品がなくなるな…