SR22話B面『岸和田オールスター食中毒騒動(後編)』

2週間おまたせしました、タナカセンセェのハプニング話の続きです(*≧∀≦*)
といっても、それほど大した話じゃなさそうなんですけどね…

オレにとっちゃ大ごとだったのよ。
とっても悲しい…

疲れ切ってました

はい、それじゃ話の続きね。

1988年岸和田オールスターで集団食中毒に巻き込まれたオレなんだけど、まだマンガ家デビューして間もない頃でしょ、本当に忙しく時間に追われる日々だったのよ。

特にオレの場合、マンガの作り方すらろくに知らないままいきなり連載だったからさ。

それまで、それほどの量描いたこともなければ、アシスタント経験もなし(希望しても全て断られたので)。
そっち系の知り合いもゼロ。

しかも題材と内容がああいったもんだったからなのか、編集者さんは作品作りにノータッチ。
同業者なら驚くと思うけど新人なのにネームチェックもほぼナシだったのよ。
(数ヶ月後にはネームを求められることすらなくなって、そのうちまともに作ること自体なくなっちゃった)

例えて言うなら、ピストレーサーもろくに乗ったことのない人間が競輪学校どころかB級A級飛ばしてS級の競走走らされるようなもんなんだから、今考えると恐怖すら感じるね。

それに、その頃はもちろんアシスタントさんなんているはずもなく、原稿上がっても編集者さんが取りに来てくれるって身分でも無し。

一人でネタ考え、資料集めて一人で描いて、出来上がったら編集部にお届けに上がる…
そんなサイクルだったから本当の本当に大変だったのよ。

メシ食ってほんのわずか寝る以外は丸一日机に向かい続けて、それでも時間が足らないって感じの日々だったかな。

もちろん競輪は、ほとんど行けなくなっちゃったからもっぱらテレビ観戦。

当時は業界のことなんて何にも知らないから、みんなそうなんだろう…ってくらいにしか思ってなかったけどさ…
(というよりもっと大変だったみたい。実際にはオレは楽な方だったらしい)

で、とにかくもう常に疲れ切ってる状態で、ある時の原稿渡しの帰りなんて頭がクラクラして地下鉄の駅の階段を降りられず、平日の3時くらいだってえのに自宅まで一時間半くらいの距離タクシーに乗ったことがあったもん。

まっ、そんな感じだったから食中毒にかかっちゃった時も体調の悪化が早く、症状も重くなっちゃったんだろうね。

病院を脱走

さて、そういう事情を抱えてたんで入院したっつってもいつまでもそこにいるわけにいかなかったの。
早く帰って原稿作らないと間に合わなくなっちゃうでしょ。

特にその頃は、仕事欠場するって考え一切頭になかったからね。
無職だったオレが、やっとありつけた仕事なんだものさ…
(前回、チラッと車にはねられた話をしたけど、その時も欠場せずだよ。編集部も驚いてたみたい)

一週間くらいは入院してなきゃいけなかったと思うんだけど、たぶん三日目くらいに脱走みたいな形で無理やり飛び出したのかな。
競輪場での食中毒ってことで病院代とかはまとめて施行者が持つってことになってたみたいだから手続きみたいなものもほとんどなかったし。

でも、これが後に大ショックな展開となって己に帰ってくるんだよね…

驚きの事実

それから2~3ヶ月経った頃なのかな…

ある日、岸和田で知り合った「アオケイ」記者の桃木さんから電話があって、京王閣遊びに来いって誘われたの。

で、会いに行ったんだけどそこで急にこんなこと言われたんだ。

「いや~オールスターじゃ、お互いいい思いできて良かったよな~。
お前さんも相当もらえたろ?グヘヘへへ~」

いったい何のことだかさっぱりわからず、

「いい思い?」

って聞き返したの。
そしたらさ…

「だっておめえ、見舞金や休業補償たんまりもらったべ!」

「あんときゃ、みんな一晩くらいで回復したヤツが多かったんだけど補償が出るってことと、仕事の方は各紙、別の人間が補充で入るってことになったもんだから入院した連中はもう大喜び!」

「昼間は仕事抜きで競輪!」

「で、外で遊びまくった後、夜だけ病院戻ってホテルがわりに宿泊!」

「しかもさ、入院中必要なものは何でも施行者が用意してくれるってことになって病室にレンタルのテレビだの何だの…」

「それで金までもらえて開催期間ずっと居座れたんだぜ。
も~最高だったな!」

オレの、その時のショックといったらも~…

(オ、オレは何にも…)

(というより連絡すら…)

無名の悲しさ

症状の一番重かったオレが、それでも看護師さんの追走振り切ってフラフラの状況で自宅に戻りフラフラのまま机に向かい…

病院に二日か三日いたせいで作業スケジュールが大幅に狂ってしばらくの期間はさらにに地獄だったのよ。
記者さん達と違って、誰か代わりにやってくれる人も手伝ってくれる人もいやしないんだからさ…

ところで前回、競輪やってる人には多少オレの存在知られ始めてたけど、一般的にはまるっきりって言ったでしょ。

これ後日談だけど、招待されて行ったってことは名簿には当然名前とか住所入ってたはずなんだよね。
けどさ、施行者、すなわち自治体の職員さんたちって一般的な方の部類に入る人たちじゃん。

世に出て三月も経ってない「ギャンブルレーサー 」なんてマンガ知りやしないし、そもそもどの組織にも所属してないただの一個人「田中誠」なんて名前見たってどこのどいつかわかるわけないのよ。

病院も早々に抜け出して職員さんとの面談や調査も受けてなかったしね…

そんなわけで、見事にオレだけ黙殺されたままって状況になっちゃったわけ。

オレが何も補償を受けてないって知った桃木さんが岸和田市に連絡入れてくれたんだけど、後日オレに届いたのはお見舞い状の紙切れ一枚…

たぶん補償関連の手続きは終了したので…みたいな内容だったんじゃないのかな。

その頃はオレも忙しかったし、もう面倒くせえからそのままほっぽらかしたんだけど、でも世の中って本当不条理だよね。

あの岸和田オールスターで一番被害の大きかったのは間違いなくオレだったんだからさ!

うえ~~~ん
貧乏くじばっかひく人間ってかわいそ~>* ))))><
センセェから聞く話っていつもそんなのばっかだもんね~(-.-;)y-~~~

A面マンガにもどる

58話 武藤龍生『真に受けちゃダメよ♡♥♡』

みなさまコンニチハ~~*・゜゚・*:.。..。.:*・’(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*
♪~ちゃんと【Go To ステイホームういずコロナ】してますか~?
あたしは、お仕事の日以外はおうちにこもってオンラインでいろんなとこへの旅行と買いものしてます(><)
おりこうさんでしょ(╹◡╹)♡
今回ご登場の武藤龍生せんしゅも、とってもおりこうさんなんですよ~~♡♥♡♥

武藤龍生 武藤龍生

親父は現役、息子はS1。
脳みその成分まではわからんが、顔はほとんど一緒の武藤親子。
本当に幸せだよな。

さて、オレにとってのこの親子、親父は若い頃、オレにちっとも貢献しなかったけど、息子の方はそこそこ貢献してくれてるかな。
親父はオレの足場として、せがれは車券の方でって意味だけどさヘッヘッヘッ…

あっ、と言っても別に息子絡みの車券で度々儲けさせてもらってるって訳じゃねえんだ。

息子のレース、目標がしっかりしている時はもちろん買うよ。
でも、オレの中では、別線狙いの時でも押さえに必ず絡めとくって存在までにはまだなってねえからさ。
余所から買ってる時に、余計なとこから突っ込んで来て邪魔されるってイメージもまだ少ねえし…
だから、外して買っても安心。
買う点数も減らせるだろ。
ゆえに貢献してもらってるってことハッハッハッ!

息子への期待

ところでさ、これは本人もよくわかってると思うけど、マーク屋ってのは本当に地味な商売だからな。
どっからでも来ちゃうってイメージ持たれるくらいにならねえと、勝った時は常に前のおかげ。
どんなメンバー、どんな展開でもゴールん時は頻繁に絡んでくるって存在になってようやく一流って認めてもらえるんだ…

つまり、別線から買ってる時のオレの車券をちょいちょい邪魔してくるようになったら息子も真の大選手って訳だ。

さあ、親子でオレにとって迷惑な存在になるかどうか?

息子の今後の頑張りしだいだなフッヘッヘッ…

あっ、でもよ、もしそういう存在になった場合、今度は逆にどんなメンバーの時でも武藤を絡ませて買わにゃならんようになるな…

おい、息子!
頼むから「買うと来ない」って選手にだけはなってくれるなよ!

ちなみに親父は、オレが目標にすると「来ない」じゃなく、「行けなかった」…でもなく、「行かなかった」っつう最悪の人間だったからさグッハッハッ!

白岩大助

皆様ご存知の通りお父さんは武藤嘉伸選手(59)、叔父にあたるのが武藤篤弘選手(95)、そして今回の主役である武藤龍生選手(98)3人が武藤グループです。

お父さんの嘉伸選手には私はデビューした頃から大変可愛がってもらっていて、家族愛がとても強い武藤家の写真を龍生が小学生くらいの頃から見せてもらってました。

Tシャツやクオカードセットを贈らせてもらって幼ながらに喜んでいる龍生の写真を見せてもらって可愛らしい子だった印象があります。

マーク屋への覚悟

選手になってから落車や失格などでS級に上がるまで本人が思っていたよりも少し時間が掛かったと思いますが、今ではすっかりS級に定着して1班になりグレードレースにも常連になるようになってきました。

ここ2年くらいの彼の飛躍には目を見張るものがあります。
私が個人的にターニングポイントになったと思った開催がありました。

それは彼が初めて他のラインに「ジカ競り」を挑んだ伊東温泉競輪。

番組を見て相談された事を覚えています。私自身「ジカ競り」に行くタイプではないのですが、彼のお父さんは番手選手としてS級で活躍し今尚、目標がいない時には「ジカ競り」をする古き良き「番手選手」です。

それを踏まえ、その時「今後、追い込みとしてやっていくなら勉強してくれば?」と一言言いました。

彼は記憶にないかも知れませんが、それからの彼の飛躍において、ある種の覚悟を決めた日のような気がしました。

そして、もう一つ強く残る彼のエピソードがあります。

父への想い

武藤グループは埼玉県の中でも群馬県に近い地域にあり、他の競輪選手があまりいません。練習は基本的に3人でやっています。

しかし彼が結婚して、しばらくして家を建てる話をしていた時に、競輪場の近くや他の練習グループの多い地域に引っ越して来ないのか聞いたことがありました。

その時に「自分は父のやり方でここまで来たので、このやり方で強くなって父の練習を証明したいんです。」と気持ちを語ってくれました。

こんな事聞いたら、きっとお父さん泣いちゃいますよ。僕泣きそうでしたもん

そして父が成し遂げていないS級優勝をし、これからはさらに上のステージできっと活躍してくれると思います。

本人の気持ちと父の想いを背負って。

面白いエピソードもありますが、武藤龍生といえばこのエピソードをどうしても皆さんに伝えたかったので長くなってしまいました。

その他のエピソードについては副支部長お願いしま~す

新井剛央

龍生くんとは住んでる場所も違うので競走以外での接点はほとんどないのですが、支部長も言っている通りいまの位置にいくまでに少し時間はかかったと思いますが、いまや特別競輪の常連になってきていると思います。

そこにはとてつもない努力があったと思います。

自分の中ではそこまでガツガツした印象はないのですが、レースを見ていると一瞬の判断やスピードは目を見張るものがありますので、やはり特別競輪に出る選手だなぁと思っています。

選手として家族として

少し前にお父さんの嘉伸さん競走が一緒で龍生のレースを部屋でみている時にレース自体は無事に終わったのですが、嘉伸さんが「はぁ~、疲れた」と言っていました。

自分も父親と弟が選手なので、嘉伸さんにその気持ちすごくわかりますって話をしたのを覚えています。
自分が走る時より変な緊張するし、ハラハラしちゃうんですよね(^^;)

これも少し前ですが、嘉伸さんと龍生の親子参加で龍生が優勝を果たしたときは羨ましくもあり感動しました。

見習って自分も頑張らないとですね(_;)

今回、ダーリン♡♥から届いたメッセージに、こんな一言がつけくわえられてました( ・∇・)

「支部長からおもしろエピソードと頼まれてましたが、ここに書けるネタがなかった(笑)のでこんな文章になりました。
どうぞよろしくお願いいたします…」

『ここに書けるネタがなかった(笑)』って部分が、みょ~にひっかかるんですよね( ̄^ ̄)ゞ
ロックちゃんも、『面白いエピソードもありますが…』って意味深なこと書いてるし…

ひょっとしてぜったい公にできないヤバいエピソードがあるってこと⁉︎

あ~知りたいなあ~(*≧∀≦*)

言える範囲でいいから、こんどツイッターで発表して!

ハッハッハッ
深読みしすぎ。
龍生くんは今、さらなる上を目指して競輪一直線。
ハメはずしてる暇なんてないからさ…

フッフッフッ
龍生、今頃きっと冷や汗かいてるな。

ねえねえロックちゃん。
あたしにだけでも、こんどナイショで教えてね(^_-)-☆

裏話はこちら