番外編11『サクライせんせぇのオールスター物語(後編)』

みなさま、さくじつはサクライ大せんせぇが、ムダな話をながながと失礼しました(>人<;)
今日はなにがあっても、ちゃんと本題を話させますのでガマンして聞いてあげてくださいね(^∇^)
ではサクライ大せんせぇ!
本日もど~ぞ~!
♬パチパチパチ~♪♬

おい、あたり!
お前、オレをバカにしてんのか?
まあいい!
はい、それじゃ皆さん、続きといきますよ!
さて、まずはどんな感じの競走だったかをみてもらうかな。
そのほうが手っ取り早いだろ…

【※レース展開は、当時の新聞記事とラジオ中継録音の一部、桜井氏の回想から再現したものです。コース取りやタイミング等に実走と違いがある可能性もありますが、競走の流れはほぼ忠実に近いものとなっています】

序盤から動きはせわしなく

まっ、競走の流れ的にはこんな感じだったんだ。

トップを引くのは平林さん。

まずは、スタートで藤巻さんが前とって、加藤さんがこの段階ではマークの形。
そんで、大本命•福島さん、稲村さん、宮一さんの群馬勢。

で、このオレ桜井。
あとは先行の吉岡、様子見の塩沢。

この頃は、今みてえにラインで走るんじゃなく、強い先行の後ろをみんなで取り合うって形の競輪なんだ。
だから、別に同県もクソもねえし、序盤から中盤にかけても選手の出たり入ったりって動きはけっこうあったかな。
今はほとんどねえけど、序盤から並走って形もさ…
もちろん、選手には格ってもんがあるから、「1班の後ろは1班」みてえなもんはあったよ。

2班でも同県だから番手…、なんて甘えは許されない。

番手はあくまでも競りと脚で奪い取るもんだった…

それから昨日も話したけど、当時、1班120名ってのは本当に神様だったんだ。
そもそもお客が、そう呼んでくれてたよ。

「A1神様!」

今のS1は人数も多くてそういった威光も少し落ちちゃったけど、あの頃のA級1班ってのは文句なしに別格って存在だったな。

つまり、その頃はオレも神様の一人だったってことなんだけどよハッハッハッ

あたり!
少しはオレを尊敬しろよ!
お前は最近、オレをただのジイさんとしか見てねえだろ!

さあ、そんな訳で、このレースも初周から数周回、色々動きはあったんだ。

2周目の時、福島さんの前に宮一さんが一度入って、福島さんも使うそぶりを見せたけど、やっぱりもう一回入れ替わって、福島さんが前。

藤巻さんは、加藤さんが先行する気があれば乗る手もあったろうが、その選択はせず。
おそらく番手勝負か自力の捲りでも考えてんじゃねえかと思ったね。
脚はやっぱ藤巻さんが上だったし…
最終的には違ったけどさ…

で、3周目すぎて福島さん、稲村さん2車で上昇。
宮一さんはついて行かず。

藤巻さんが福島さんを迎え入れ、アウト稲村さんと競り。
藤巻さんは、福島さんを入れずに、後で上がってくるであろう吉岡のケツで番手勝負ってのもあったと思うけど、やっぱり前橋って事と福島さんと同期って事で入れちゃったのかな。
3番手なら勝負権あるし…
展開によっては福島さんがそのまま自力勝負に出るってパターンもあっからな…

さて、ここで競りが長引き前段もつれる展開になったら、オレはオレで捲り勝負の選択肢も出てくるが、結局、藤巻さんその後下げて稲村さんまで入れちゃうんだ。

前橋だから、これも仕方なかったのかな…
ちょっと、(ふ~ん…)とは思ったけどな…

まっ、とにかくこれで良くも悪くもひとまず隊列は落ち着いた。
青板(残り3周)すぎて、間もなく赤板(残り2周)ってとこで先行•吉岡が上昇。

さあ、いよいよ勝負所に突入だ。

若さゆえに勝手にカラダが動いて…

福島さんが吉岡を迎え入れて絶好の態勢。

さあ、藤巻さんがどう出るか。

4番手じゃ勝負にならんし、追い上げて、今度は福島さんと番手競りに出るか、それとも加藤さんが先に何かするか…

…と思ったらよ…

(は~ん⁉︎      動く気配がまったくねえ)

(おいおい、一番強い自在選手の前に先行が入って、このまま一本棒じゃもう勝負は決まっちまうじゃねえか…)

(冗談じゃねえぞオイ…!雁首並べてみんなでお見合いか⁉︎

でな、そしたらその瞬間、なぜかもう身体が勝手に動いて出てったような感じで、オレは福島さんのアウトに追い上げていたんだ。

同じA1、神様同士とはいえ、向こうは横綱、オレは前頭。

けど、土俵に上がったら遠慮もクソもねえ。
ただ力一杯立ち向かうだけだ。

ドッカ~ン!!!

いや~死力を尽くして闘ったよ!
24歳になりたてホヤホヤ、若武者•桜井青年は!

福島さんも意地になってぶち当たってきたけど、オレも引かずに攻めつづけがっぷり四つ!

再度、ドッカ~ン!ドッカ~ン!

押し込んでも押し込んでも、その都度跳ね返してくるんだ。

やっぱり横綱ってのは本当に強ええと改めて思ったな。

打鐘前あたりから追い上げて、そういった感じの激しい競りが最終2センターから4角くらいまで続いたのかな…

でもよ、そうなると後方の人間にとっちゃ、もう絶好の捲り頃だろ。

「ごちそ~さ~ん」とばかり、加藤さんが最終2角からズッド~ン…

人様が前で必死に仕事しているすきに、美味しいとこだけスコーンと持ってっちゃった…

で、もはや脚がいっぱいの福島さんとオレは共倒れ7着8着…
(※普通競走なので末着はほぼトップ引き)

それでもみんな大喜び!

それでもさ、競走後、金網の外はそりゃ~凄まじい反響だったよ。

そりゃそうだよな。
大本命、大横綱に、それもその地元で、初優出の若造が競りかけて大競り演じたんだから!

「福島と競るとはいい根性してる!」

「藤巻みてえな実力者や他の連中が脚使うのを怖れて何もしねえ中、あいつ一人が攻めてった!」

「あのままじゃすんなりで終っちまうレースを見事に動かした!」

「東京の桜井!ありゃ大物になる!」

「ガキみてえなツラしてて大したもんだ!」

「オレの車券パアにしやがった…」

てな風に、記者や評論家、お客さん……そして当時想いを寄せていた松戸のソノちゃんも、おそらくきっとどこかで悶え狂ってたはずだ…

オレだって、そりゃも~興奮の極致さ。
精一杯戦った後の爽快感とか…

も~何とも言えんわ!

あの時の気持ち…

一人だけ他と違ったヒトとそのワケは…

けどよ…
けどな…

そこで、ただ一人だけ違う反応を見せた人がいたんだ。

このレースでトップを引いた、同じ東京の大先輩、故•平林巳佐男さん!

競走終了後に最初に言い放った言葉がなんと

「お~い!桜井は何着だった?」

だぜ!

しかも、凄まじい形相で…

実はこの人、このレースで、オレの後ろを回って稼げる可能性のある金と、トップ引いて稼ぐ金と、どっちの方が高くなりそうか天秤かけてトップの方を選択してたの。
(トップ引き選手の賞金の取得方法は機会があればいつかお伝えします)

だから、オレが8着ってこと知って

「オッシャ~!大成功!やっぱオレの判断は間違ってなかった!」

「良かった~!今日も儲かって!グヘヘへへ~!」

 今度は、も~とびっきりの笑顔でさ…
ったく、カネのことしか考えてねえんだからな…

まっ、こういう判断や決断、勇気も競輪の世界にゃあるってこった、うん………………………………

(※当時の競輪は、6番の選手が誘導役を務める普通競走が一般的スタイル。別途、誘導員を用意する現在の先頭固定形式もあるにはあったが、勝ち上がりの競走、決勝戦等の場合でも誘導賞金を目当てに誘導役を申し出る選手が多かったので需要は少なかった。名誉より、いかに稼ぐかが重要な時代でもあったのである)

セ、センセエ!せんせぇ!センセェ!
ひょ、ひょっとして、おはなしぜんぶ終了しました?
やった~。・°°・(>_<)・°°・。
ばんざ~い(大泣大泣大泣号泣~)

 

あたりのざれごと

みなさま~、ホンット~におつかれさまでした~!!!

も~あたし、いっきに100歳くらい歳をとった気分。
今回の記事作りって、ホントに大変だったの(>人<;)

まず、桜井センセェのとこに電話して、録音とメモ取りながら数千時間話を聞かされたのよ。

それから当時の新聞記事とかをお借りしにセンセェ宅の玄関先までうかがって(緊急事態宣言中だったから)、そんでもってハゲのタナカに連絡して原稿かかせ、最後にまた、いつも同様まとめの作業…

桜井センセェって、ど~してあんなにしゃべるの⁉︎   しゃべれるの⁉︎
あたし、桜井センセェの奥さま尊敬しちゃう!

家の中でなんにもしゃべらないお父さんにもこまっちゃうけど、あれだけしゃべられちゃ女の出るまくなくなっちゃうじゃん…

でもさ、すっごく明るい家庭みたいでとっても楽しそうなの。

電話口でそれがすごく伝わってきて、ちょっぴりうらやましくなっちゃった╰(*´︶`*)╯♡

ハゲのタナカのあいかわらずつまらないざれごと

桜井さんのせいで、あいかわらず長いブログになっちゃって申し訳ないんだけど、オレにもちょっとしゃべらせて。

今回の話に登場した、当時のスーパースター福島正幸さん。

思い出ってわけでもないんだけど一つ強く印象に残ってることがあるんだ。

オレにとっての福島さんは…

福島さんの師匠で競輪評論家をなさってた故•鈴木保巳(1期)さんて方がいらっしゃったの。
もうかなり前に亡くなられてしまったんだけど、オレ、この方の競輪中継の時のお話や評論記事が大好きで、一度お会いさせてもらったことがあったの。

で、その時話された、福島さんのエピソードにすごく感銘を受けてさ…

鈴木さん、こうおっしゃってたの…

「福島…
あいつは本当に大した男だった。
師匠のオレでも、こいつにはかなわんと思ったよ。
こうと決めたことは、何があってもやり抜いた。
変な話になるが、この時間にトイレに行って出すと決めたら、例え下剤を飲んででも出す!
そんな男だったよ…」

オレの頭の中には、現役時代の福島さんが確か「精密機械」なんて感じに称されていたような記憶もあったから、なおのこと感動しちゃってさ…

(少しでもこんな人間に近づきたい…)

本当にそう思ったね。

なれなかったけどさ…

福島さんのお名前を見つけると、今でもその時の話を思い出しちゃうんだ…
桜井さんのエピソードにも似たような部分があるけど、一流になる人って皆さんやっぱりそういったモノを持たれてるんだろうね…

ちなみに、オールスター決勝の記事の中にこんな一文があったの。

「福島は、あそこで桜井と無理に競らず一車下げて捲り勝負に出れば勝てていたのではないか…」

横綱、挑戦者双方がプライド、信念もぶつけて戦っていたって事なのでしょう。

素晴らしいです。

 

ゴメン!
それから最後にもうひと方。

故•平林巳佐男さん。

オレにとっての平林さん

オレが競輪場に通い始めた昭和60年頃…この頃はS•A•Bの三層制になってたんだけど、たしか選手数も四千人くらいって時だったのかな?

でさ、平林さん、地元のレースに斡旋されるのが多かった?のか、オレが行くときゃよく出走表に名前が出てたんだ。
たしかA1くらいをキープしてて、しかもそこそこの順位だったような記憶があんのよ。(記憶違いかもしんないけど)

三層制になったとはいえ、当時S級は4千名の中で430名。
だから仮にA1といっても、現制度のS2くらいのレベルはあったかも。
昭和50年のオールスターで42歳だったってことは52歳でしょ。
当時24のオレにとっちゃ凄まじいジイさんに感じてさ。

こう言っちゃなんだけど、本当にジイさんみてえな顔してたし…

しかも、そのジイさんが下手すりゃ最終日、決勝(あったかも?)とか特選、選抜走ってたりすんだから。(その時もトップ引くことがあったかどうかは忘れた)
も~なんちゅう世界だと思ったね。

良くも悪くも…

なんで、スポーツの世界であんなジジイが若者と普通にやりあえるんだ?
って風にさ…

もちろん、同時に尊敬の念も生まれてたけどね。
とにかく印象に残るジイさん選手でした…

そうそう!

あとさ、あの時代の方でしょ。
旧A1、タイトル戦を何度も走った大選手なのに身なりといえば…
良い言い方をすれば質素。

ごく普通の感覚で言うと

「ど~して、そんなにケチなの!」

もちろんオレも人のことは言えない格好してたけどさ…
今だって、30年くらい前のジーパンとか平気ではいてるしハッハッハッ!

でもさ、今は選手の皆さんも本当にオシャレになったよね。

モモヒキや軍手でレーサー乗るなんてありえないでしょ?(これ、平林さんのことじゃないよ。むかし選手の方に聞いた話…)

今回の原稿を作ってて、そんなことを思い出しちゃった。
ってなわけで、ハイおしまい!

あたりちゃん、これくらいの長さなら許してくれる?

ながい!

【※番外編10、11の記事内容につきましては、ともに、それなりのウソ•でっち上げを加え構成しております】

番外編10『サクライせんせぇのオールスター物語(前編)』

みなさま、こんにちは
あたりです♡♥♡♥

 

緊急事態宣言もついに解除されたりと、ウイルスの方も少しずつ収束の方向には向かっているみたいですね( ^∀^)
でも、まだまだ油断は禁物Σ(-_-)

第二波とかきたらホントいやだし…

念のためブログ制作のときは、まだ在宅ワーク実行中。

お化粧の必要もないし、部屋着のままで過ごせるし、なにより通勤しなくていいでしょ。
ちょっと、しあわせ( ^ω^ )

ってなわけで、ハイ!
きょうもお仕事、お仕事…!

ハイ!
っというわけで、今回は「まだ生きてる化石!」桜井久昭(28期•OB)大センセェにご協力いただいて、むかし話をおとどけします♪()♪

 

お年寄の話って若い人はみんなきらうけど、どんなときも辛抱って必要だと思うの!(◎_◎;)

先のことを考えると、ウイルス関係での辛抱もまだ必要だと思うし、もうしばらくはがんばって辛抱しましょう╰(*´︶`*)╯♡

それでは桜井センセェ!
辛抱疲れのみなさまに向けて、
ハイ、ど~ぞ!

♪パチパチパチ~♬♪♬

ハイ!
ただいまご紹介に預かりました第17代競輪王!28期•西武園クラブOB!桜井園子さんの夫!桜井久昭でございます!

先日、け~りんふきょ~会のあたりから電話が入って、オレの昔話をぜひにって頼まれたもんで出てきました。

まあ、かなり光が見えてきたとはいえ、確かに第二波が怖いからまだ警戒は緩められんとオレも思うんだ。
ゆえに、ちょっとした気分転換にでもなればいいかなと思ってよ…

むかしむかしの自慢話の始まりは…

さて、オレが話すのは、若かりし頃、特別競輪初優出を決めた、昭和50年(1975年)9月、前橋の第18回オールスター競輪!

当時、オレは24歳。
9月2日が誕生日のオレはなりたてホヤホヤだ。

戦法は追い込み主体に展開次第で捲り。
Aの2班までは先行、捲りで戦ってたが、1班では厳しいと考え戦法チェンジ。

その後、先行に関しては年寄りに懇願されたらって感じだったかな。

選手登録は昭和46年1月、デビューは2月。

んで、B級2班のデビュー戦から8連勝。

9戦目2着で、その後10連勝(当時の特進条件は10連勝)プラスおまけ1勝の都合11連勝でA級特進だ。(当時、A級は5班制だったが、特進だと4班に格付けしてくれていたような気がする。昔すぎて忘れた)

「オシ行ける!」

と思ったのも束の間。

A級昇格後、一年間は優出すら出来ずでプロの厳しさも早々に味わったよ。
お客からも厳しい声が飛んだもんさ。

「特進選手のくせに!」
「てめえみてえな奴は、永久にに準優突破なんかできねえ!」
「バカ!クズ!南京虫!」

一年間本当にその通りになっちまって…
南京虫には、さすがにならなかったけどよ…

昔も今もそうだけど、すんなり特進決めて、しかものちにタイトル獲得まで行くような選手が特進後にほとんど勝てなくなるケースってのは、そうはねえと思うんだ。
だから、精神的にもかなりきつかったよ…

けど、日々やるべき事をそれ以上に、かつガムシャラにやって挑戦し続けるしかねえもんな。

辛抱しながらの戦いを続け、ようやく勝ち星も増やせるようになっていったんだ。

辛抱と練習!
ただただ、この毎日…

だから今、デビューしたばかりの連中にはこんな風にも言いてえな…

「決して焦るな!」

「慌てるな!」

「黙々と、すべき事をし続けろ…!」

現役の若い衆たち、がんばれよ!

さあ、そんなこんなで4年近くの月日が流れ、オレが当時の最高位A1になったのは前橋オールスターの前年、昭和49年の9月。

結局スピード出世とはいかなかったものの、とにもかくにも俗に言う神の領域ってとこに到達して、いよいよ将軍、横綱、王様って人たちに立ち向かえる日々がやってきたんだ。
もちろん、その頃にはそういう人たちにハナからかなわんとは思わなくなったし、いつか必ず頂点にって思いで先輩たちに立ち向かってってたな。

練習だって、そりゃあ~も~それまで以上さ…!

そもそも知りもしない競輪の世界

話は、ちょっとそれるけど、オレん家は実家が会社経営してて、学校も中学から私学っつう比較的恵まれた環境で育ったんだ。だから、お坊ちゃん呼ばわりされるようなことも多々あって、より何クソって感じで闘志も燃やせたのかもしれん。
ちなみに、小学校までは勉強だってトップだったんだぜグッヘッヘッ!

おい、スガモのコイケ!(競輪選手関係じゃなく、競輪場のただの浅ましく、賤しく、ひもじい客)
ちゃんと聞いてっか?

お前は巣鴨高校•柔道部だけど、オレは明治高校•生物部だかんな!
運動部なんて野蛮なとこには入らず、ボウフラやイトミミズの研究に日々没頭だ…

けどな、自転車も大好きで、日本のあちこちに輪行で旅行なんてこともしてたよ。

高校生当時、競輪なんて世界があるってことは全く知らなかったけど、たまたま同級生の友達に、従兄弟に競輪選手がいるってヤツがいたんだ。
で、3年生になったある日、そいつに誘われて、その従兄弟の家に遊びに行ったことがあったんだ。

選手の従兄弟さん本人は忙しくて話はできなかったんだけど、親父さんが相手してくれて自転車や競輪の話を色々聞かせてくれたんだ。

もちろんその時のオレは選手になりたかったわけでも興味を持ってたわけでもないぜ。

ただ、オレが輪行少年だったってことで興味を持ってくれたのか、のちのオレの師匠となる、倉地治信(6期•OB)さんという方にひき合わせてくれ、練習に誘われたりしているうちになぜか競輪選手の道に進む流れになっていっちまうんだ。

元々は学問系の人間だったから晴天の霹靂だよな。

でも当時、倉地さんに言われた一言

「お前は根性がある!」

この一言で俄然燃えたんだ。

男、桜井!
こうと決めたら、もう一直線!

「オレの道は競輪選手!」

ってなわけで、ひょんなことから明治高校史上初の競輪選手が誕生することになるんだ!

巣鴨と違ってほぼ100パーが東大に進学(ウソ。ほとんどが明大)する学校から!

周囲は猛反対だったよ…

「お前は将来、学者か大臣にでもなる器だろうに、なんで競輪なんて…」

って具合に校長以下、全教師、全校生徒たちからも泣かれてな…

ど~だ、たまげたかハッハッハッ!

オールスターでついにサクライは覚醒する…

…ハイ、ほんで話は戻るけど、特別競輪初出場は、そのA1になった49年の静岡オールスター(優勝•阿部道/23期•OB)。

でもって、年明けて、50年千葉ダービー(優勝•高橋健二/30期•OB)、宮杯(優勝•藤巻清志/27期•OB)、そしてこれから話す前橋オールスターへと続くんだ。

どうだい、皆さん。
ここまでの前振りだけでもワクワクしてくるだろう?

いかにもオレが、少年マンガに出てくるようなすごい男のように感じてきたんじゃねえのか?ドへへへへ

おい浅見(隼/115期・東京)!
お前も、ちゃんと聞いてっか?
ささ身ばっか食ってねえで、ここからの話よく聞いとけよ!

なぜこのオールスターの話をしたいのかっちゅ~と、今、競輪人生を振り返ってみた時、こんなようにも思えたからなんだ。

あの決勝レースを走ってから、本当の意味で「競輪選手、桜井久昭」がスタートした!
ってな…

何があったのかっていうと、特別競輪初めての決勝でオレは、当時の大スター、そしてこのレースでも大本命だった福島正幸(22期•OB)さんに勝負所で追い上げて大競りを演じたんだ。

もちろんあの時、いろいろな計算があった訳でも、した訳でもなく、瞬間的な判断と身体の方が勝手に動いてったってことなんだけど、でもあの一戦でオレなりの選手としての信念みたいなもんが確立し、周囲のオレに対するイメージもあれで固まったような気がするんだ。

前年、A1になったもののスピード出世とはいかなかったオレの評価は、

「そこそこの若手のうちの一人…」
「A1までは来たけど、どれほどのモンかはまだわからん…」
「所詮、特進後にもたついたヤツ…」
「ホラ吹き…」

当時、密かに想いを寄せていた松戸のソノちゃんの評価もおそらく

「大ホラ吹き!」

実はこのオールスターを迎える前、そんなオレでもなぜか好調は好調で、宮杯を終えてからの4ヶ月間は記念競輪を4回走って3V。
普通A1戦を一つ走って完全V。
5場所走っての4Vっつう見事な成績を収めていたんだが、それでもまだ間違いなく本物とまでは見てもらえてなかったんだ。

オレ自身、(たまたま流れにうまく乗っかれた…)みてえな感覚で、絶対的な自信はまだ生まれてなかった気もするしな…

だけど、あの一戦の後は、

「とことん行く男!」
「どんな相手にでも真っ向勝負に出る追い込み屋!」
「根性は一級!」

このオレ自身も、

「オレはやれる!」

そう思った…

で、今改めて思うんだ。

なぜあの時、あの福島さんに、しかも福島さんの地元前橋で競りかけることができたのか…
さらには初優出の身の上で…

それはきっと

「ここぞという時、強気で攻める!」
「物事に直面した時、損得抜きで真正面から立ち向かう!」

そんな勇気を持つことを普段から自身に言い聞かせていたからだと…

そしてそれがあの日、自分の中での信念として絶対的なものになった。

で、その勇気を持つ心ってのは、特進後の一年間、あの全く勝てなかった日々にそれでも腐らず、ただただ練習し続けたことと、ソノちゃんへの熱いハートから生み出されたものだったって気がするな…

そして偉大な選手として栄光の人生が…

さて、ついでにオールスター後の話も少し。

しかし、人生ってのは面白いよな。
自信をつけた、そのオールスターの直後はまた勝てなくなっちゃうんだもん。
物事ってのは本当都合よく動かねえ。

けど、このオレにはもう怖いもんなんぞありゃしねえからな。

その次のタイトル戦となる5度目の特別競輪、11月の競輪祭!

特別競輪2度目の優出を果たすとともに見事初V!

このオレが、なんとタイトルだ!!

第17代競輪王!

男、桜井!
勇気がついに花開いた瞬間だドハハハハ~~~~!!!!

弱冠24歳と2ヶ月チョイ!

税務署からも祝電がわんさか!
さすがのオレもこの時ばかりは、もう一つの覚悟を決めざるを得んかった…

(こいつらともオレはとことん戦う!)

番手競り同様、数学も大好物だったこのオレだからな…

さあそして、絶対的な勇気を持って松戸のソノちゃんに愛の告白!

そしたらソノちゃん…
うっひっひっ…

「ヒサテルさん、も~どうにでもして♥♡♥…」

だとさ!
グハハハハ~~~~♥♡♥♡♥♡♥

も~、男冥利に尽きるってもんよ!

なっ浅見!
そうやってオレは、名実ともに「東京の桜井久昭」になっていったんだ…

(もちろん、その後は、前回このブログに登場した94期の岡(光良・埼玉)同様、信念持って特別競輪の優勝だけは拒否し続けたけどよ…)

オレの現役生活は38年!

晩年、脚はどんどん落ちても、選手として持つべきと決めたあの勇気だけは常に持って走り続けたと思う。
ソノちゃんへの愛情だってもちろんだ…

ど~だ樋口の次男(瑛土/109期・東京)と三男(開土/113期•東京)!
大矢(崇弘/107期•東京)!
内藤(高裕/96期•東京)!

それからハゲのタナカ!

い~話だろう!

ちゃんと聞いてっか?

競輪も、女の子口説くのも同じなんだぞ!

強気と損得抜きで真正面から立ち向かう!

ソノちゃん口説いたのはオレの方からだったが、そのあとは、も~…
惚れまくられちゃったかんな~グヘヘへ…

そうそう、野村(昌弘/84期•埼玉/西武園クラブ会長)やその他はもう聞かなくてもいいからな。
お前らは嫁さんいるんだし…

さて、話がちょっと長くなっちゃったから、ここらでひとまず休憩といくか…

「うお~い!
40年以上も愛するソノちゃ~ん!
いつも同様、オレがお茶入れるから一緒に飲も~!
そんなそっけない態度取らなくてもいいじゃんよー(汗汗汗)」

あのさ~大センセェ…
オールスターの話って、ただスターの人に競りかけましたってぐらいで、レース内容の具体的な話がほとんどないじゃん。

もっと、ちゃんとくわしく話してよ!

むだ話ばっかりつけくわえて、も~じれったいたらありゃしない!

こういう男の人って、女からはだいたいきらわれるんだよね…

モテない男のテンケ~。・°°・(>_<)・°°・。

しょうがないから続きはも~、次回。

次はちゃんとやってよ!

ったくも~…

【というわけで後編は明日6月2日に更新予定でございます…】